徳美藩
ナビゲーションに移動
検索に移動
徳美藩(とくみはん)は、江戸時代初期から中期にかけて甲斐国に存在した藩である。藩庁は徳美陣屋。藩主家は譜代大名の伊丹氏。石高は1万2000石。現在の山梨県甲州市塩山三日市場に存在した。
概要[編集]
寛永10年(1633年)2月、伊丹康勝が下総国相馬郡から甲斐国山梨郡内に1万2000石の所領を与えられ、同郡徳美に藩庁を構えたことから、徳美藩が立藩した。
康勝は徳川家康・徳川秀忠・徳川家光と江戸幕府の3代の征夷大将軍に仕えて幕政に参与し、政治家として数々の功績があった。しかし、幕政に参与していたことから藩政を実際に行なったのは長男の勝長だったという。慶安3年(1650年)、3200石の所領を武蔵国内などに移された。
承応2年(1653年)に康勝が死去した後、家督は長男の勝長が継いだ。勝長は弟の勝重に2600石を分与した。また、江戸城石垣普請などに参加して功績もあったが、寛文2年(1662年)3月27日に江戸の役宅において一色直正に刺殺された。
家督は勝長の長男・勝政が継ぎ、勝政は甲斐黒川金山の開発や近江水口城の守備などに貢献した。元禄4年(1691年)7月15日に勝政が死去すると、嫡男の勝守が家督を継いだが、元禄11年(1698年)9月に江戸城内で自殺した。『廃絶禄』では、「9月15日、26歳で失心。厠にて自害す。よって領地を収らる」とある。伊丹氏は改易となり、この時点をもって徳美藩は廃藩となった。
歴代藩主[編集]
- 伊丹家