水口城

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水口城(みなくちじょう)とは、現在の滋賀県甲賀市水口町本丸4−80にかつて存在した日本である。安土桃山時代に存在した水口岡山城とは場所や城が異なる。別名を碧水城(へきすいじょう)とも言う。

概要[編集]

東海道沿いの南側に残る平城であった。江戸時代前期の寛永11年(1634年)に第3代征夷大将軍徳川家光上洛する際の宿舎として、小堀遠州を作事奉行に任命して築城した。そのため軍事的な要素は薄く、本丸二の丸の2郭から成るのみである。最初は天領の番城として城代が置かれるのみであったが、天和2年(1682年)に加藤明友加藤嘉明の孫)が水口藩2万石の藩主に封じられて入城する。明友の子・明英の時代である元禄8年(1695年)に下野壬生藩移封となり、代わって鳥居忠英が入城する。忠英は18年間城主を務め、正徳2年(1712年)に壬生藩に移封され、入れ替わりで加藤嘉矩(明英の養子)が水口城に戻って復帰し、以後は加藤氏が歴代城主を務めて明治維新を迎えた。

現在は石垣や堀が残って昔を忍ばせている。滋賀県指定の史跡である。また、城跡内に往時の矢倉を模した水口城資料館がある。

アクセス[編集]

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