勝田吉太郎
勝田 吉太郎(かつた きちたろう、1928年2月5日 - 2019年7月22日)は、政治学者[1]。京都大学名誉教授、奈良県立大学名誉教授、鈴鹿国際大学名誉学長[2]。専門は政治思想史。アナーキズムの研究で知られる。いわゆるサンケイ文化人の一人。
経歴[編集]
愛知県名古屋市生まれ。大阪外事専門学校でロシア語を学び、京都大学法学部に進学。名古屋から京都に向かう東海道線の車中で19世紀ロシアのアナーキスト、クロポトキンの自伝『一革命家の思い出』(大杉栄訳)を読み感銘を受ける[3]。京都大学では法学者の滝川幸辰に師事。1951年京都大学法学部卒業[2]。滝川に才能を見出され、卒業と同時に助手として採用される[3]。1954年京都大学法学部助教授[4]。
1955年~1957年にロックフェラー財団の援助を受けて欧米留学し[2]、ロシア思想史、革命運動史の資料を渉猟。その中で19世紀ロシアのアナーキスト、バクーニンと出会い、帰国途上の船中で著作集に没頭する[3]。1961年9月処女作『近代ロシヤ政治思想史――西欧主義とスラヴ主義』(創文社)を刊行。1962年3月「近代ロシヤ政治思想史 : 西欧主義とスラブ主義」で京大より法学博士号を取得[5]。1961年~1963年にもロックフェラー財団の援助を受けて欧米留学し[2]、ブレジンスキー、キッシンジャーらと接触してソ連・東欧の現状に批判的となる[6]。
1964年京都大学法学部教授[2]。1970年代から社会主義や進歩的知識人批判の論客としてジャーナリズムでも活躍[3]。1972年のソ連・東欧学会(のちロシア・東欧学会)創立時の世話人の1人で、1994年まで理事を務めた[7]。1982年3月日米安保改定百人委員会呼びかけ人[8]。1982年7月「海と国土の平和と安全を守る自衛隊法改正促進連絡会議」呼びかけ人[9]。1983年12月教科書正常化国民会議発起人[10]。1986年関西労働文化教育研究所(関労研)顧問[11]。憲法改正を主張し、世界平和教授アカデミーにも関わる[6]。1991年京都大学定年退官、名誉教授。奈良県立商科大学教授[2]。1992年奈良県立商科大学学長[1]。1994年鈴鹿国際大学教授、同大学初代学長。2000年教育改革国民会議委員(~2002年)。2002年鈴鹿国際大学名誉学長。2004年瑞宝重光章を受章[2]。
2019年7月22日、老衰のため京都市の病院で死去、91歳[12][13]。著作集に『勝田吉太郎著作集』全8巻(ミネルヴァ書房、1992-1995年)がある。
人物[編集]
- 京都大学で猪木正道の指導を受け、河合栄治郎の衣鉢を継ぐ社会思想研究会(社思研)に参加した。社思研の第2世代にあたる[14]。
- 産経新聞の「正論」メンバー。1999年に正論大賞特別賞を受賞した[13]。
- サンケイ新聞のコラム「サンケイ抄」に「国家とは体質として好戦的、侵略的なものを秘めているのである」と書いた(1982年8月14日付)。呉智英は現実主義者がアナーキズムの理論を使って有効にマルクス主義批判を展開している点に注目し、読書論の中で現在の知の混迷状況の事例として取り上げた[15]。浅羽通明は他にアナーキズムから影響を受けたサンケイ保守文化人として猪木正道と田中美知太郎を挙げ[16]、アナーキズムと保守主義の共通性を分析している。
著書[編集]
単著[編集]
- 『近代ロシヤ政治思想史――西欧主義とスラヴ主義』(創文社、1961年)
- 『革命とインテリゲンツィヤ』(筑摩書房、1966年)
- 『アナーキスト――ロシヤ革命の先駆』(筑摩書房[グリーンベルト・シリーズ]、1966年/社会思想社[現代教養文庫]、1974年)
- 『ドストエフスキー』(潮出版社[潮新書]、1968年/第三文明社、2014年)
- 『知識人と自由』(紀伊國屋書店[紀伊國屋新書]、1969年)
- 『革新の幻想――社会主義を問い直す』(講談社、1973年)
- 『革命とインテリゲンツィヤ』(筑摩書房、1974年)
- 『絶望の教育危機――民主教育で日本は滅びる』(日本経済通信社、1974年)
- 『革命の神話――社会主義に未来はあるか』(講談社、1976年)
- 『現代社会と自由の運命』(木鐸社、1978年)
- 『人類の知的遺産49 バクーニン』(講談社、1979年)
- 『自由社会の病理――幻想のなかの平等と自由』(玉川大学出版部[玉川選書]、1979年)
- 『民主主義の幻想――「滅公奉私」の日本人』(日本経済新聞社、1980年)
- 大増補改訂新版『民主主義の幻想』(日本教文社[教文選書]、1986年)
- 『平和憲法を疑う』(講談社、1981年)
- 『平和病日本を撃つ』(ダイヤモンド社、1982年)
- 『敗戦後遺症シンドローム』(日本教文社、1983年)
- 『神なき時代の預言者――ドストエフスキーと現代』(日本教文社、1984年)
- 『宰相論』(講談社、1986年)
- 『時を読む――勝田吉太郎の警世嗟言』(産業新潮社、1988年)
- 『民主教育の落し穴――戦後世俗化の風土を斬る!!』(善本社、1989年)
- 『勝田吉太郎著作集(全8巻)』(ミネルヴァ書房、1992~1995年)
- 『戦後民主主義の解剖』(國民會館[國民會館叢書]、1996年)
- 『思想の旅路――神なき世紀の悲劇を見つめて』(日本教文社[教文選書]、1998年)
- 『文明の曲がり角』(ミネルヴァ書房[Minerva21世紀ライブラリー]、2002年)
- 『核の論理再論――日本よ、どこへ行く』(ミネルヴァ書房、2006年)
- 『甦るドストエフスキーの世紀――現代日本への警鐘』(ミネルヴァ書房、2010年)
共著[編集]
- 『唯物史観のホントとウソ』(竹内靖雄・公文俊平・西義之・玉城康四郎・北森嘉蔵・新島正共著、潮文社、1976年)
- 『解放神学――虚と実』(田口貞夫・近藤正栄・大石昭夫共著、荒竹出版、1986年)
- 『対談 一つの時代の終りに――世界史のなかの近代日本』(村松剛共著、日本教文社[教文選書]、1986年)
- 『ソ連崩壊論』(丹羽春喜・木屋隆安・法眼晋作・佐瀬昌盛共著、講談社、1990年)
編著[編集]
- 『政治学(2)政治思想史』(猪木正道・渡辺一共編、高文社[法律学ハンドブック]、1966年)
- 『世界の名著(42)プルードン、バクーニン、クロポトキン』(猪木正道共責任編集、中央公論社、1967年)
- 『世界の名著(53)プルードン、バクーニン、クロポトキン』(猪木正道共責任編集、中央公論社[中公バックス]、1980年)
- 『政治思想史入門』(山崎時彦共編、有斐閣[有斐閣双書]、1969年)
- 『現代デモクラシー論』(加藤一明・西川知一共編、有斐閣[有斐閣選書]、1979年)
- 『日本は侵略国家ではない』(善本社、1993年、増補版1994年)
訳書[編集]
- F.L.シューマン『ソヴエトの政治――内政と外交(全2巻)』(坂本義和・渡邊一共訳、岩波書店[岩波現代叢書]、1956-1957年)
- バクーニン『バクーニン1』(石堂清倫・江口幹共訳、三一書房[アナキズム叢書]、1970年)
出典[編集]
- ↑ a b 勝田吉太郎(かつた きちたろう)とは コトバンク
- ↑ a b c d e f g 核の論理再論 / 勝田 吉太郎【著】 紀伊國屋書店ウェブストア
- ↑ a b c d 浅羽通明『アナーキズム――名著でたどる日本思想入門』ちくま新書、2004年、153-154頁
- ↑ 勝田吉太郎「ソ連と中立主義」『季刊社会科学』第3号、1964年6月
- ↑ CiNii 博士論文 - 近代ロシヤ政治思想史 : 西欧主義とスラブ主義
- ↑ a b 「表現の自由」研究会編著『現代マスコミ人物事典』二十一世紀書院、1989年、447頁
- ↑ 川端香男里、羽場久美子「ロシア・東欧学会歴代理事名簿の完成と川端香男里元代表理事へのインタビュー(PDF)」『ロシア・東欧研究 : ロシア・東欧学会年報』第37号、2008年
- ↑ 西垣内堅佑「草の根改憲運動を阻止するために」『現代の眼』1983年5月号
- ↑ 茶本繁正「改憲へ突っ走る"四つの車輪"」『月刊社会党』第317号、1982年11月
- ↑ 編集部「マスコミ・デスクメモ――一九八三年十一~十二月」『マスコミ市民』第193号、1984年7月
- ↑ 内海洋一、堀江湛「関西における民主社会主義――熱気に満ちた学習意欲」『改革者』第41巻第12号(通巻485号)、2000年12月
- ↑ 勝田吉太郎さん死去 朝日新聞デジタル、2019年8月22日
- ↑ a b 京大名誉教授・勝田吉太郎氏が死去 SANSPO.COM、2019年8月22日
- ↑ 【湯浅博 全体主義と闘った思想家】独立不羈の男・河合栄治郎(72)後継者編(3-3)(1/4ページ) 産経ニュース、2016年12月10日
- ↑ 呉智英『読書家の新技術』朝日文庫、1987年、93頁
- ↑ 浅羽通明『アナーキズム――名著でたどる日本思想入門』ちくま新書、2004年、155頁
外部リンク[編集]
- 露政治思想の碩学・勝田吉太郎氏逝去 国際勝共連合
- 勝田吉太郎氏の遺言 宗教新聞