上田耕一郎

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上田 耕一郎(うえだ こういちろう、1927年3月9日 - 2008年10月30日)は、日本の政治家。日本共産党中央委員会名誉役員。元参議院議員、日本共産党中央委員会幹部会副委員長。

衆議院議員、日本共産党中央委員会議長の不破哲三(本名・上田建二郎)は弟。

経歴[編集]

神奈川県茅ヶ崎市で生まれ[1]東京中野の駄菓子屋を営む実家で育つ[2]。父はアナキスト系の教育評論家の上田庄三郎。1946年12月旧制第一高等学校在学中に日本共産党に入党、一高細胞を結成。一高理科甲類を経て[1]東京大学に進学し、東大細胞(国際派)に所属[3]。1951年東京大学経済学部卒業[1]結核で5年療養したあと中野の居住細胞で活動し[4]、党東京中野地区委員や中野文化人懇談会を母体とした週刊新聞『中野新報』記者を務めた。1955年7月の六全協後、弟の不破哲三とともに構造改革路線をとり、『戦後革命論争史(上・下)』(大月書店、1956年12月-1957年1月。4章を不破が分担執筆)で左翼論壇にデビュー[1]構造改革派の理論家として共同講座『現代マルクス主義』や雑誌『現代の理論』などで活躍した[5]。1957年に小野義彦が自立論を展開し従属経済論を批判すると、今井則義豊田四郎守屋典郎らとともに従属経済論の立場から反論を行った(日本帝国主義復活論争)[6]宮本派との対立が深まると、不破とともに構造改革派を「典型的な帝国主義弁護論」だと批判して宮本派に戻り[5]、1964年11月の第9回党大会後に『戦後革命論争史』を絶版とした[7]

1964年党中央委員会政策委員、同年11月の第9回党大会で中央委員候補、1966年10月の第10回党大会で中央委員、1968年政策委員会責任者に就任。1970年7月の第11回党大会で幹部会委員、『赤旗』編集局長に就任。この大会で幹部会委員長、書記局長のポストが新設され、宮本前書記長が幹部会委員長、不破が書記局長兼常任幹部会委員に就任し、宮本を頂点とする「不破・上田体制」が成立した[8]。1973年11月の第12回党大会で常任幹部会委員に就任。この大会で「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」を報告し、党の政権構想を明らかにした[1]。1974年7月第10回参議院議員通常選挙に東京地方区から出馬し初当選、1998年7月まで4期24年間参議院議員を務めた。1976年7月の第13回臨時党大会で幹部会副委員長に就任。1998年7月の第18回参議院議員通常選挙で議員を引退。2006年1月の第24回党大会で幹部会副委員長を退任し、名誉役員となった。2008年10月30日、慢性呼吸不全のため、都内の病院で死去、81歳[9]

日共の理論家の1人であり、70年代の平和革命・議会主義路線の展開の基礎となった「先進国革命の理論」を提唱した。この理論は1970年秋頃に論文「一国社会主義と世界革命――現代革命の歴史的条件」(『科学と思想』1972年第4、5、6号)の基本部分として書き上げていたという[10]。主な著書に『戦後革命論争史(上・下)』(大月書店、1956年12月-1957年1月)、『マルクス主義と現代イデオロギー(上・下)』(不破哲三との共著、大月書店、1963年10月)、『先進国革命の理論』(大月書店、1973年4月)、『国会議員』(平凡社新書、1999年5月)、『上田耕一郎著作集(全6巻7分冊)』(新日本出版社、2012年12月-2013年10月)などがある。

その庶民的人格や、構造改革路線から宮本路線に転じた経緯などから、上田は「隠れ改革派」「党組織民主化リーダー」であるとする「上田耕一郎神話」が存在した[11][12]

『戦後革命論争史』[編集]

1983年、『前衛』8月号に不破が「民主集中制の原則問題をめぐって――党史の教訓と私の反省」、上田が「『戦後革命論争史』についての反省――「六十年史」に照らして」と題する論文を発表し、26年前の『戦後革命論争』の執筆・出版などを自己批判した。宮地健一によると、この「事件」は1973年以降の宮本のユーロコミュニズムへの接近、1977年10月の第14回党大会を転換点とするユーロコミュニズムからの離脱という事態の一環であったとされ、宮本が田口富久治藤井一行中野徹三ら民主集中制を批判する党員理論家に対する牽制を目的として2人に自己批判文を書かせたとされる[12]

1997年12月19日付の石堂清倫の宮地健一宛の手紙によると、『戦後革命論争史』は上田・不破2人のオリジナルな作品ではなく、内野壮児小野義彦勝部元山崎春成、石堂清倫の討論をまとめたものだという。当初は討論の内容を内野がまとめ、内野名義で出版する予定だった。内野の遅筆のため、止むなく討論の筆記役だった上田にまとめさせることになり、上田名義で出版された。なお上田は弟の不破にも一部分をまとめさせたいと申し出て、石堂らはこれを承諾した。この本はよく売れ、上田と不破は一挙に有名になったが、その後2人は宮本派に転じ、石堂らの同意を得ずに宮本の要求でこの本を絶版にした[13]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『戦後革命論争史(上・下)』(大月書店[戦後日本の分析]、1956-1957年)
  • 『マルクス主義と平和運動』(大月書店、1965年)
  • 『1970年と安保・沖縄問題』(新日本出版社[新日本新書]、1968年)
  • 『統一戦線と現代イデオロギー』(新日本出版社、1969年)
  • 『日本の進路とマルクス主義』(新日本出版社[新日本新書]、1972年)
  • 『先進国革命の理論』(大月書店、1973年)
  • 『民主的変革の道の探求』(大月書店[国民文庫]、1974年)
  • 『上田耕一郎対談集』(大月書店、1974年)
  • 『統一戦線論争』(新日本出版社、1977年)
  • 『現代を探る――上田耕一郎多角討論』(白石書店、1979年)
  • 『講座現代日本と社会主義への道』(新日本出版社、1980年)
  • 『上田耕一郎政策論集――政策活動の理論と実践(上・下)』(新日本出版社、1980年)
  • 『80年代と安保論争』(大月書店、1980年)
  • 『現代世界と社会主義』(大月書店、1982年)
  • 『世界と日本をどうみる』(新日本出版社、1983年)
  • 『第三の危機――現代の構造』(大月書店、1984年)
  • 『青年の未来と社会主義』(新日本出版社[新日本新書]、1985年)
  • 『日米核軍事同盟』(新日本出版社[新日本新書]、1986年)
  • 『講座社会主義――その理論と展望』(新日本出版社、1986年)
  • 『平和と安全の「哲学」』(新日本出版社、1987年)
  • 『現代の資本主義・社会主義――21世紀への展望』(新日本出版社、1988年)
  • 『消費税・政治対決の分析』(新日本出版社、1989年)
  • 『歴史の転換期に!――ソ連の混迷、日本の進路』(新日本出版社、1991年)
  • 『上田耕一郎 談々自在』(新日本出版社、1992年)
  • 『政界再編と日本の進路』(新日本出版社、1993年)
  • 『構造変動の時代』(新日本出版社、1995年)
  • 『安保・沖縄問題と集団的自衛権』(新日本出版社、1997年)
  • 『新ガイドラインと米世界戦略』(新日本出版社、1998年)
  • 『変革の世紀――日本の国際的位置と役割』(新日本出版社、1999年)
  • 『国会議員』(平凡社[平凡社新書]、1999年)
  • 『戦争・憲法と常備軍』(大月書店、2001年)
  • 『ブッシュ新帝国主義論』(新日本出版社、2002年)
  • 『人生の同行者――上田耕一郎×小柴昌俊・鶴見俊輔・小田実対談』(新日本出版社、2006年)
  • 『上田耕一郎著作集(全6巻)』(新日本出版社、2012-2013年)
    • 「第1巻 一九五八年〜六〇年代」(2012年)
    • 「第2巻 七〇年代・日本政治論」(2013年)
    • 「第3巻 理論戦線での提起と探求 上」(2013年)
    • 「第4巻 理論戦線での提起と探求 下」(2013年)
    • 「第5巻 日米安保条約と日本国憲法」(2013年)
    • 「第6巻 アメリカの世界戦略論」(2013年)

共著[編集]

  • 『中立日本の構造』(石堂清倫大橋周治不破哲三共著、合同出版[合同新書]、1960年)
  • 『マルクス主義と現代イデオロギー(上・下)』(不破哲三共著、大月書店、1963年)
  • 『現代危機と変革の理論』(飯塚繁太郎共著、現代史出版会、1975年)
  • 『理論戦線の到達点と課題』(不破哲三共著、日本共産党中央委員会出版局、1976年)

編著[編集]

  • 『民主連合政府で日本はこうなる――覆面批判への反論』(工藤晃共編著、新日本出版社[新日本新書]、1974年)
  • 『構造疑獄ロッキード』(新日本出版社[新日本新書]、1976年)

出典[編集]

  1. a b c d e 茶本繁正「上田耕一郎」、朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年、172頁。
  2. 中野区立中央図書館企画 第13回中野区ゆかりの著作者紹介展示 ゆかり展示回顧録 ~中野の偉人・文化人ハイライト~PDF”. 中野区立中央図書館 (2017年3月31日). 2019年11月16日確認。
  3. 安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』文春文庫、1995年。
  4. 朝日新聞社編『日本共産党』朝日新聞社、1973年、158頁。
  5. a b 大泉誠「上田耕一郎」、現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、1981年、28頁。
  6. 菱山郁朗「七-(3)―現代日本資本主義論争と『構造改革論』―」江田五月のウェブサイト。
  7. 上田耕一郎「『戦後革命論争史』についての反省――「六十年史」に照らして」『前衛』1983年8月号。
  8. 小山弘健、海原峻編著『現代共産党論――高度資本主義国共産党の変容と展開』柘植書房、1977年、297頁。
  9. 日本共産党元副委員長/上田耕一郎さん死去 しんぶん赤旗(2008年10月31日)。
  10. 『現代共産党論――高度資本主義国共産党の変容と展開』74頁。執筆者は佐藤浩一
  11. 諏訪兼位、田口富久治、岩間優希、影浦順子、竹川慎吾、小島亮『伽藍が赤かったとき――1970年代を考える』中部大学(中部大学ブックシリーズ Acta)、発売:風媒社、2012年、43頁。
  12. a b 上田耕一郎の多重人格性 宮地健一のホームページ。
  13. 上田・不破『戦後革命論争史』出版経緯 宮地健一のホームページ。

参考文献[編集]

  • 朝日新聞社編『日本共産党』朝日新聞社、1973年
  • 安東仁兵衛『戦後日本共産党私記』正・続、現代の理論社、1976年・1980年/合本、文春文庫、1995年
  • 朝日新聞社編『現代人物事典』朝日新聞社、1977年
  • 小山弘健、海原峻編著『現代共産党論――高度資本主義国共産党の変容と展開』柘植書房、1977年
  • 立花隆『日本共産党の研究』上下、講談社、1978年/全3巻、講談社文庫、1983年
  • 現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、1981年
  • 日本共産党元副委員長/上田耕一郎さん死去」『しんぶん赤旗』2008年10月31日付
  • 諏訪兼位、田口富久治、岩間優希、影浦順子、竹川慎吾、小島亮『伽藍が赤かったとき――1970年代を考える』中部大学(中部大学ブックシリーズ Acta)、発売:風媒社、2012年

関連文献[編集]

  • 立花隆「不破・上田兄弟論――ポスト宮本体制の支配者」『文藝春秋』1978年7月号、8月号、10月号、11月号、12月号
  • 川上徹『査問』筑摩書房、1997年/ちくま文庫、2001年
  • 「平和人物大事典」刊行会編著『平和人物大事典』日本図書センター、2006年
  • 集古洞銀の鈴記念館編『動中静有の人――上田耕一郎さんとの思い出集』東銀座出版社、2011年
  • 村岡到『日本共産党をどう理解したら良いか』ロゴス、2015年