鹿野道彦

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鹿野 道彦(かの みちひこ、1942年1月24日 - 2021年10月21日)は、日本の元政治家衆議院議員(11期)、衆議院運輸委員長農林水産大臣(第145253代)、総務庁長官第12代)、運輸政務次官新党みらい代表、国民の声代表、民政党幹事長、民主党国会対策委員長自由民主党青年局長、総務局長などを歴任した。父は衆議院議員を5期務めた鹿野彦吉

来歴[編集]

山形県山形市出身。既婚者で長男あり。

昭和51年(1976年)の第34回衆議院議員総選挙旧山形1区から自由民主党公認で出馬し、初当選し、以後当選11回。

運輸族として国鉄民営化等に尽力し、清和会プリンスとまで言われた。47歳の時に初入閣し、宮澤喜一内閣で総務庁長官に就任。平成6年(1994年)に政治改革と政界再編を目指して新党みらいを旗揚げし、3年後の新進党代表選で小沢一郎に敗れた。平成10年(1998年)に民主党を結成し、民主党政権が成立した平成22年(2010年)から平成24年(2012年)においては農相を務めた。しかし民主党内が小沢を軸に対立したことから、中間派の保守系ベテラン政治家として存在感を増し、平成23年(2011年)の民主党代表選挙において、決選投票で野田佳彦の勝利に貢献し、自らの素交会というグループを立ち上げた。しかし民主党が政権を失うことになる平成24年(2012年)の第46回衆議院議員総選挙で落選。さらに平成25年(2013年)の第23回参議院議員通常選挙においても落選して、政界から引退した。平成14年(2002年)に、元秘書の贈収賄事件に絡んで衆議院予算委員会に参考人招致され、民主党を一時期離党したことがある。

平成26年(2014年)に旭日大綬章を受章。令和3年(2021年)10月21日午後8時3分、真性多血症により、山形県山形市の病院で死去した。79歳没。

功績[編集]

鹿野の功績の一つに、ミニ新幹線方式の山形新幹線開通が挙げられる。鹿野は米沢南陽上山へも新幹線直通の便益が得られるように現行ルートのミニ新幹線推進を展開した。

著書[編集]

  • 『明日を翔る男たち : 闘う自民党青年部』 愛山政経調査会、1982年7月
  • 『農の復権 : 21世紀農林水産業の活力を求めて』 翠嵐社、1991年10月
  • 『山形新幹線 : 鉄路の復権』 翠嵐社、1992年6月
  • 『農・林・漁 復権の戦い : 1年9ヵ月の軌跡』 財界研究所、2013年6月

関連項目[編集]

外部リンク[編集]