諡号

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諡号(しごう)とは、生前のその人物の生涯や功績などを考慮して贈られる名前のことである。贈り名(おくりな)とも言われ、死後に与えられることから「ってる」ということから追諡(ついし)・追号(ついごう)とも言われる。追贈は死後に官位や勲章を与えるもので、諡号とは異なるので注意が必要である。

概要[編集]

この諡号が主に与えられるのは、中国皇帝日本天皇朝鮮の君主など、いわゆる君主層が非常に多い。また、その君主の下で大きな功績をあげた人物にも死後に諡号を与える場合がある。

ただし、諡号とは必ずしもその生前の功績を讃えられて追諡されるわけではない。例えば、生前に君主に対して不敬があったり人望が無かったり、晩節を汚したりする行為をした者に対してはむしろ死後までそれを貶めるような諡号を贈られる場合もある。例として三国志于禁は、関羽との戦いに敗れて捕虜となった。この際、同じく捕虜となった龐徳が忠節を全うして処刑されたのに対し、于禁は忠節を全うできずに捕虜として生き永らえた。関羽が後に孫権に敗れて処刑されると、于禁は孫権によって曹丕の下に帰ることになったが、忠節を全うできなかった于禁に対して曹丕は冷たく接し、于禁は憤死。死後には「厲侯」という禍・災厄を意味する諡号を与えられている。このようにむしろその人物を貶める意味で諡号が贈られる場合も存在している。

追贈と同じく、死の直後に貶めるような諡号を贈られても、名誉回復のために改めて良い諡号が与えられたりする例も存在する。例えば三国志の賈充は、生前の行いから「荒」が相当と武帝司馬炎に上申された。これは「愉しみを恣にし国家の綱紀を紊乱した」者に与えられるものだったが、司馬炎は認めず「武」を追諡している。

君主の諡号[編集]

日本では天皇が天智天皇白河天皇などと言われているが、これは生前に彼らがこのように呼ばれていたわけではなく、あくまでこの名は死後に贈られた追諡である。天皇は在位中は「今上帝」(きんじょうてい)、「帝」(みかど)、「御上」(おかみ)などと言われた。前天皇存命中の場合は「先帝」(せんてい)、「前の帝」(さきのみかど)などである。よくテレビで「~天皇」と言われたりする場合があるが、これはあくまで視聴者にわかりやすくするために言っているにすぎず、リアルタイムではこの名前で呼ばれることは無かった(例外が後醍醐天皇で、彼は生存中から自分の諡号を「後醍醐」と決めていた)。

中国の場合には様々な皇帝の諡号が存在する。武帝(ぶてい)の場合はその存命中に大きく領土を拡大した、文帝(ぶんてい)の場合はその治世の間に文治の発展に尽くしたなどであり、それぞれの皇帝にはその生涯において相応しい諡号が与えられる場合が多い。

ただし、中国・日本を問わずに、君主が時の実力者によって廃位される例が存在する。このような場合には諡号自体が与えられない場合が多い。これは君主としてすら認められない罪人なので与えないという意味もあり、主に戦乱の時代や王朝末期の君主、またその治世において暴虐の限りを尽くした暴君に見られることが多い。三国志の曹操はその生涯において皇帝には即位していないが、事実上の皇帝であり魏の建国者であったことから、死後に息子の曹丕から武帝と追号されている。逆に金の海陵王などはその治世において暴虐の限りを尽くしたことから、死後に皇帝としてどころか王位を与えることすら否定されて、庶民にまで落とされている。

日本の天皇家でも、崇徳天皇仲恭天皇のように、戦いに敗れた天皇は諡号がもらえなかったり不名誉な諡号が贈られたりしているが、後に名誉回復して贈られている。また、弘文天皇(大友皇子)、慶光天皇(閑院宮典仁親王)のように明治天皇によって追贈された諡号もある。

関連項目[編集]