羽生城
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羽生城(はにゅうじょう)は、埼玉県羽生市に存在した日本の城である。
歴史[編集]
戦国時代の弘治年間(1555年 - 1558年)に、木戸忠朝によって築城されたといわれている。忠朝は築城と同時に城下町の建設にも尽力し、現在の羽生市の起源となる街づくりを行ったといわれている。
しかし永禄年間に入ると、関東管領を継承した越後国の上杉謙信による関東出兵が繰り返され、この城は謙信と北条氏康・北条氏政らの争奪の場となった。天正18年(1590年)の小田原征伐で後北条氏が滅亡すると、この城は小田原藩主となった大久保忠世・大久保忠隣父子の持ち城となる。忠隣は江戸幕府成立と同時に老中となって権勢を振るったが、徳川家康の側近である本多正信・本多正純父子との権力争いに敗れて慶長19年(1614年)に大久保長安事件の余波を受けて改易され、この際に羽生城も廃城となった。
現在、城跡は市街地と化しており、見るべき遺構はほとんど存在しない。