碇ヶ関村
碇ヶ関村(いかりがせきむら)とは、かつて青森県内陸部の南端に位置していた村である。現在は南津軽郡平賀町と尾上町と合併して消滅しており、平川市碇ヶ関として地名が残っている。
概要[編集]
青森県の南部に位置していた村で、西が大鰐町、東が平賀町、南が標高800メートルの甚吉森、標高785メートルの馬糞森、標高970メートルの柴森山などの山地を経て秋田県と接していた。
この村は山に囲まれていたが、遠部川・小落前川・大落前川などを合わせた平川がその間を北に流れて、その流域に集落が点在しているという交通の要衝であった。そのため、当地には関所が設置されていた。Wikipediaの碇ヶ関御関所では関所が設置されたのは天正14年(1586年)とあるが、これは間違いである。この要衝にはこれより前に関所が設置されていたことが天文12年(1543年)に書かれた『津軽郡中名字』にある「瞋の関」という記録からも明らかであり、規模の問題はあるにせよ既に関所が設置されていたことは疑いない。推定では南北朝時代に関所が設置されたのではないかと見られている。
天正14年(1586年)、南部信直の支配から自立して勢いに乗る大浦為信(津軽為信)は、比内の浅利氏を攻めるために大鰐からの街道を建設した。この街道は峠を越えるために必要であり、これが近世における関所設置の起源といえる。貞享2年(1685年)、関所はさらに整備され、この関は秋田領に備えた大間越、南部氏に備えた野内の関所とともに、津軽3関の1つに数えられ、現在でもその跡に高麗門や冠木門、上番所などが復元されて当時の姿を再現している。
大正・昭和初期に活躍した大作家・葛西善蔵はこの村で育ったことでも知られ、葛西ゆかりの文学碑なども存在する。
この村は山地に囲まれているため平地が非常に少なく、米と林檎の生産が若干あるだけだが、周囲の山々に囲まれて自然は深くて風景はいい。さらに多くの温泉が存在し、大鰐とともに温泉郷自然公園に指定されている。
平成18年(2006年)1月1日、南津軽郡平賀町、尾上町と合併して平川市となったことにより、碇ヶ関村は消滅した。
人口の変遷[編集]
平成8年(1996年)3月31日の住民基本台帳によると、当時の人口は3755人。廃止当日の平成18年(2006年)1月1日時点での人口は3140人である。
地理[編集]
隣接していた自治体[編集]
歴史[編集]
交通[編集]
鉄道路線[編集]
バス路線[編集]
道路[編集]
- 高速道路
- 一般国道
- 一般県道