石巻家貞
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石巻 家貞(いしまき いえさだ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣。後に名を家種(いえたね)と改める。下野守[1]。子に板部岡康雄(板部岡江雪斎の養父)、康保、康敬、天用院がいる。
生涯[編集]
後北条家の宿老で、相模国西郡郡代、御馬廻衆寄親、評定衆を務めた。官途は勘解由左衛門尉。石巻氏は三河国八名郡石巻の出身であり、北条早雲の時代からの後北条家の家臣である[1]。
天文2年(1533年)3月から史料に見られ、当初は勘解由左衛門尉を称している。天文15年(1546年)5月から下野守を称している。永禄9年(1566年)3月から家種を称している[1]。
後北条家の評定衆として、3点の北条家裁許朱印状に署判している。永禄2年(1559年)の『北条氏所領役帳』では御馬廻衆の筆頭として321貫文の知行高が記されている。なお、軍役以下の所領役は免除され、北条家当主の眼前での普請役などのみを負担するグループに属していたようである[1][2]。
永禄11年(1568年)6月を最後に史料に家貞(あるいは家種)の名は確認できなくなっているため、恐らくこの頃に死去したものと推測されている。家督は次男で嫡子の康保が継承した[1]。