板部岡康雄
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板部岡 康雄(いたべおか やすかつ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。板部岡江雪斎の養父。
略歴[編集]
父は後北条家の重臣・石巻家貞。弟に石巻康保、石巻康敬、石巻天用院らがいる。通称は右衛門尉。仮名は彦太郎。初めの姓名は石巻 康堅(いしまき やすかた)[1]。
かなり早くから後北条家に仕えていたようで、天文5年(1536年)に彦太郎の名で史料に見えるので、北条氏綱の時代から後北条家に仕えていたようである[1]。後に北条氏康に仕えたが、康の字は氏康の偏諱と見られる。
弘治元年(1555年)2月に板部岡氏の家督を継承して、小田原衆に列している。その後、名を康雄に改め、受領名も能登守を称した[1]。
家貞の長男であったにも関わらず他家に養子に出されているため、石巻氏の家督は次弟の康保が継承している[1]。このことから庶子だった可能性もある。
板部岡氏の家督は養子に迎えた江雪斎が継承した。