真屋順子

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真屋 順子(まや じゅんこ、1942年1月8日 - 2017年12月28日)は、日本女優。本名は「高津 詔子[1](旧姓:岩尾)。

概要[編集]

1942年1月8日、当時日本の支配下にあった朝鮮半島・釜山の出身。父は戦死する。戦後は大分県に引き上げ、大分県立日田高等学校を中退(2年生まで)。

1958年、松竹音楽舞踊学校に入り、松竹歌劇団に入団[2][3]1961年、俳優座養成所(13期生)入所。1964年の卒業後は、現代演劇協会付属劇団「雲」の研究生[4]となり俳優の芥川比呂志に出会う。1966年5月公演の『黄金の国』で、殉教の武家娘の大役に抜擢され注目される。1968年にテレビドラマ『妻のかがり火』(原作:『まぼろしの邪馬台国』)で共演した[5]俳優の高津住男と1969年に結婚。1975年に演劇集団円に参加。

1976年に始まった『欽ちゃんのどこまでやるの!?』ではお母さん役でレギュラー出演し人気を得る。 1977年、時代劇ドラマ「人形佐七捕物帳」の演技が高く評価され、同年度京都市民映画祭テレビ映画部門女優賞を受賞。

2000年12月23日脳出血で倒れる。高津健一郎は義理の息子[6]

2017年12月28日、死去[7]。75歳没[8]

主な出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

バラエティその他[編集]

他多数

CM[編集]

脚注[編集]