片岡氏
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概要[編集]
大和片岡氏[編集]
大和国葛下郡片岡荘(現在の奈良県香芝市・王寺町)を発祥とする。藤原北家の流れを汲むとされている。鎌倉時代末期からその活動が確認され、室町時代には大和国の有力国衆の1人として台頭。戦国時代には大和の大名・筒井氏に従って3500石を領した[1]。
土佐片岡氏[編集]
宇多源氏の佐々木氏の一族で、上野国片岡郡片岡荘(現在の群馬県高崎市)発祥とされている。ただし、桓武平氏の流れを汲むともされている[1]。
室町時代前期の応永年間(1394年から1428年)に、片岡直綱が土佐国に入り、片岡城を築城して城主となる。後に土佐で勢力を広げた長宗我部氏に従うが、関ヶ原の戦いで長宗我部氏が改易されると、片岡氏の嫡流は土佐国を去り、別の一族が新たに土佐国主となった土佐藩主・山内氏の家老・佐川深尾氏に仕えた。幕末に国事に奔走して活躍した片岡利和はその子孫で、明治33年(1900年)に男爵となった[1]。
常陸片岡氏[編集]
常陸国片岡(茨城県新治郡八郷町、現在の石岡市)を発祥とする清和源氏・佐竹氏の支流とされる。稲木盛義の次男・片岡義計の時代に片岡氏を称した[1]。
陸奥片岡氏[編集]
室町時代に陸奥国江刺郡片岡(岩手県江刺市、現在の奥州市)を発祥とする一族である[1]。
新庄藩片岡氏[編集]
出羽国新庄藩主の戸沢氏に仕えた片岡氏で、陸奥国南部を出自とすることから、恐らく陸奥片岡氏の一族と見られる。片岡盛直が戸沢政盛に仕えて新庄藩の家老となった。しかし、その子の片岡理兵衛の時に断絶した。後に江戸時代中期の宝暦年間(1751年から1764年)になって、再興されている[1]。
仙台藩片岡氏[編集]
陸奥国仙台藩の重臣であった白石の片倉氏の家臣に片倉氏があった。丹波国を発祥とするといわれる[1]。
現在の片岡氏[編集]
現在では四国の高知県に最も多くみられ、他には岡山県などに多く見られる[1]。