現代の眼
現代の眼(げんだいのめ)は、現代評論社が刊行していた月刊総合誌。『情況』や『日本読書新聞』などと共に"左翼運動系メディア"として知られた[1]。
概要[編集]
1960年に『現代の芽』として創刊。オーナーは大物総会屋として名を馳せた木島力也。当初は反代々木系の構造改革派と保守派が中心に寄稿する国民的論壇紙であったが[1]、1969年から休刊する1983年まで第4代編集長を務めた丸山実が「「現の眼」(げんのめ)は全共闘の機関誌」といわれる内容に雑誌を変え、部数を伸ばした[2]。最盛期の東大闘争前後には4万部から5万部を発行した[1]。
新左翼文化人による反体制的・反資本主義な基調の論文が掲載される一方で、銀行や保険会社、財閥系メーカーなど一流企業の広告が並んだ[3]。『構造』や『流動』などこの種の左翼総会屋雑誌は1970年代から1981年の商法改正の頃までにいくつも存在し[4]、中でも『現代の眼』は70年代の新左翼学生にとって『世界』や『中央公論』にあたる総合誌として人気を集めた[3]。大学教授や作家の中でも権威ある存在となり、「原稿料はいらないから原稿を書かせてくれ」と言った有名大学教授もいたという[5]。総会屋に対する利益供与を禁止した商法改正のあおりを受け[6]、1983年の5月号をもって休刊した。編集長の丸山実は休刊後の1983年8月に『新雑誌X』を創刊した(後に『新雑誌21』に改題)。
編集部からはジャーナリストの鈴木均、丸山尚、写真家の中平卓馬[2]、直木賞作家の高橋義夫、車谷長吉などの人材を輩出した[1]。大竹昭子によれば、写真家の森山大道は後に盟友となる中平卓馬がグラビアページに掲載を決定した作品が実質的なデビュー作となった[7]。執筆者からは赤瀬川源平、井出孫六、鈴木邦男、鎌田慧、猪瀬直樹[1]、松本健一、桶谷秀昭などを論壇・文壇に輩出した[4]。赤瀬川源平が1971・72・73・74・75・77年[8]の1月号に発表した「論壇地図」は当時話題となり、これを目当てに買う読者もいたという[1]。鈴木邦男は1976年2月号に掲載された「反共右翼からの脱却」と題する野村秋介との対談について、「「新右翼をつくつた対談」と言われた。この雑誌がなかったら、いわゆる「新右翼」運動はなかっただろう。」と述べている[5]。
脚注[編集]
- ↑ a b c d e f 対談「『現代の眼』山岸修 VS 『図書新聞』前田和男」『情況』2018年夏号
- ↑ a b 道場親信、丸山尚「証言と資料 日本ミニコミセンターから住民図書館まで : 丸山尚氏に聞くミニコミ・ジャーナリズムの同時代史1961-2001」『和光大学現代人間学部紀要』第6号
- ↑ a b 猪野健治『やくざ・右翼取材事始め』平凡社、2014年、155頁
- ↑ a b 絓秀実、高澤秀次、宮崎哲弥著『ニッポンの知識人』ベストセラーズ、1999年、29頁
- ↑ a b 鈴木邦男 鈴木邦男をぶっとばせ! 34年前の『現代の眼』が全ての発端だった!(2010年12月20日)
- ↑ 丸山 実(マルヤマ ミノル)とは コトバンク
- ↑ 大竹昭子 森山大道のOn the Road 連載3 月曜社
- ↑ 近藤正高 追悼・赤瀬川原平 40年前に遺したマッピング作品「論壇地図」のタブーとは? リテラ(2014年11月9日)
外部リンク[編集]
- 『現代の眼』 - arsvi.com
- 『序章』『査証』『季節』 - リベラシオン社