江田五月
江田 五月(えだ さつき、1941年〈昭和16年〉5月22日 - 2021年〈令和3年〉7月28日)は、日本の弁護士(登録番号:15935)、政治家、元裁判官。立憲民主党岡山県連合顧問。
経歴[編集]
父は日本社会党委員長代行を務めた元衆議院議員の江田三郎で長男。岡山県岡山市出身。既婚者。
衆議院議員(4期)、参議院議員(4期)、科学技術庁長官(第50代)、法務大臣(第86代)、環境大臣(第16代)、参議院議長(第27代)、社会市民連合代表、社会民主連合代表、民主党参議院議員会長、民主党・民進党最高顧問などを歴任した。
東京大学在学中に司法試験に合格し、昭和41年(1966年)の卒業後に裁判官として東京地裁・千葉地裁・横浜地裁など各地裁で勤務した。
昭和52年(1977年)に父・三郎が急逝したことに伴い、参院選全国区に結成直後の社会市民連合公認で立候補して初当選する。昭和58年(1983年)に衆院議員に鞍替えした。昭和60年(1985年)からは田英夫の後継で社会民主連合(社民連)代表を平成6年(1994年)まで務めた。この間、リベラル勢力の結集を行なっている。
平成5年(1993年)に非自民8党派連立による細川護熙政権樹立に参加。科学技術庁長官として入閣した。日本新党、新進党を経て平成8年(1996年)の岡山県知事選挙に立候補するも落選した。平成10年(1998年)に民主党参院議員として国政に復帰し、党参院議員会長となる。平成19年(2007年)の参院選挙で民主党が第1党に躍進すると、同党初の参院議長となる。以後、自民党政権下で衆参多数派が異なるねじれ国会を、民主党への政権交代を通じておよそ3年間務めあげた。
平成23年(2011年)、菅直人首相の要請で法相に就任するが、参議院議長経験者としての入閣は政治史上において初めてのことである。閣僚人事で環境相も兼務した。人権問題をライフワークに法相在任中は死刑を執行しなかった。また、日本国憲法をめぐっても民主党内の議論をリードしたりした。
平成28年(2016年)に政界を引退し、同年に桐花大綬章を受章した。
令和3年(2021年)7月28日午前8時36分、肺炎のため、岡山県岡山市の病院で死去。80歳没。
著書[編集]
所属していた議員連盟[編集]
- 戦後補償を考える議員連盟(会長)
- NPO議員連盟(共同代表)[1]
- 東京オリンピック・パラリンピックに向けて受動喫煙防止法を実現する議員連盟(顧問)[2]
脚注[編集]
- ↑ https://www.eda-jp.com/katudo/2014/04/24.html
- ↑ “役員人事”. 東京オリンピック・パラリンピックに向けて 受動喫煙防止法を実現する議員連盟. 2019年6月6日確認。