武田信之 (武田信玄三男)
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武田 信之(たけだ のぶゆき、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の一族。武田信玄の3男。武田義信や海野信親の同母弟。武田勝頼や仁科盛信の異母兄に当たる。他の兄弟姉妹に黄梅院、見性院、真竜院、葛山信貞、信清、松姫、菊姫らがいる。
生涯[編集]
武田晴信の3男。母は信玄の正室である三条の方。生没年は不詳であるが、信親と勝頼の間に生まれていることから、天文11年(1542年)から天文14年(1546年)の間に生まれ、天文20年(1551年)から天文23年(1554年)の間に死去したものと推測されている。史料上では西保三郎とあることから、西保(現在の山梨県牧丘町)を所領としていたものと推測される。西保にある城山は甲斐源氏の安田義定の拠点だった要害城であったところで、信之は武田三郎(安田三郎)の早世によって、安田氏の名跡を継承することが想定されていたと見られている。
しかし10歳で夭折し、安田氏は結局断絶した。もし長命だったならば、義信事件の後に勝頼ではなく信之に家督が回ってくる可能性もあったという。