葛山信貞
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葛山 信貞(かづらやま のぶさだ、? - 天正10年3月15日(1582年4月7日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の一族。父は武田信玄で6男[1]。母は油川夫人[1]。兄弟姉妹に武田義信、海野信親、武田信之、武田勝頼、仁科盛信、武田信清、黄梅院、菊姫ら。仮名は十郎。正室は葛山氏元の娘・おふちで、その婿養子となって葛山氏を継いだ[1]。
生涯[編集]
元亀3年(1572年)頃までに結婚し、葛山氏元の婿養子として家督を継いだ[1]。ただし所領支配は御宿友綱が担った[1]。
天正10年(1582年)の織田信長による武田征伐で異母兄の勝頼が自害した4日後、甲府の善光寺において信長の嫡子・織田信忠により処刑された[1]。戒名は陽春院殿瑞香浄英大禅定門[1]。