岡部 真綱(おがわ さねつな、生没年不詳)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。
岡部元信の嫡男。母は不詳。
永禄3年(1560年)12月に当時の主君である今川氏真の偏諱を授けられ、真綱と名乗った。当初の仮名は小次郎。後に父と同じ五郎兵衛尉を称している。
武田信玄の駿河侵攻によって今川氏が没落すると、武田家の家臣となった。父の元信は遠江国高天神城の城将として戦い、天正9年(1581年)に徳川家康に敗れて戦死しているが、真綱は高天神城にはいなかったようで岡部家の家督を相続している。天正10年(1582年)の織田信長の武田征伐によって武田家が滅亡した後は、家康に仕えた。
その子孫は福井藩主の越前松平家に仕えている。