尾張藩
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尾張藩(おわりはん)は、現在の愛知県西部に所在した徳川御三家と言われる親藩の一つ。愛知県の原型である。
概要[編集]
現在の愛知県尾張地方と岐阜県美濃地方、愛知県三河地方等及び長野県の山林の一部を治めた藩。
なんと摂津 (大阪府)や近江 (滋賀県)にも領地がわずかにあった。飛び地なので代官を派遣しただろうが、管理が大変だったであろう。
支藩(御連枝)に高須藩など。付家老の知行地に犬山領や今尾領などが存在した。
歴史[編集]
尾張は元々、三管領家の斯波氏の本拠地であったが戦国時代に没落。その後、織田信長が登場して尾張を統一した。その後織田信雄、豊臣秀次、福島正則、松平忠吉と領主が変わり、徳川家康の九男徳川義直が尾張徳川家の祖となり、9代宗睦まで義直の男系が続いた。10代から13代は徳川宗家、14代からは支家高須松平家を継いだ水戸徳川家の血統となり、大政奉還後の戊辰戦争では官軍方に付いた。
明治維新後は、付家老の知行のうち、今尾藩、犬山藩の立藩が認められ、版籍奉還を迎えた。
歴代藩主[編集]
藩校[編集]
1749年に創立。1783年に再興され明倫堂と命名され、上杉鷹山の師でもあった細井平洲が初代督学となった。明治初期に廃校になるも、1899年に私立旧制中学校として再々興し、1919年に愛知県に移管され、現在の県立明和高校に至っている。