千坂景親
ナビゲーションに移動
検索に移動
千坂 景親(ちさか かげちか、天文5年(1536年) - 慶長11年4月24日(1606年5月30日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武士。上杉氏の重臣。
生涯[編集]
父は千坂景長。子に太郎左衛門、長朝。養子に高信(満願寺仙右衛門)。千坂氏は上杉氏の4家老家のひとつで、越後国北蒲原郡鉢盛城主であった。景親は受領名を対馬守と称した。
最初は長尾景虎(上杉謙信)の老臣として仕え、天正6年(1578年)に謙信が死去した後は上杉景勝に仕えた。文禄3年(1594年)に伏見屋敷の留守居役となる。文禄4年(1595年)に豊臣秀吉から景勝に対して伏見城普請を命じられると、上杉家の普請総責任者を務める。慶長3年(1598年)に秀吉の命令で景勝が会津に加増移封された際、景親もこれに従って大沼郡で5500石を与えられた。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで景勝が徳川家康と敵対し、家康の覇権が確定すると、景親は伏見において情報収集や家康との外交折衝に当たり、上杉家の戦後処理を務めた。慶長8年(1603年)に景勝から江戸家老に任命される。慶長11年(1606年)に死去。享年71。
千坂氏はその後、江戸家老を世襲する重臣として存続した。
関連作品[編集]
- 小説
- 『城を守る者』山本周五郎(『疾風怒涛!上杉戦記』(PHP文庫、2008年)などに収録)