仙石氏
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仙石氏(せんごくし)とは、日本の氏族である。江戸時代の外様大名であり、家格は城主。江戸城内の詰間は柳間。讃岐国高松城主から信濃国小諸藩主、同上田藩主、但馬国出石藩主と各地の城主となった。家紋は丸に無の字(永楽銭、五三桐、桔梗花、桜、九曜)。
概要[編集]
清和源氏の源頼光流の土岐氏の支流で、仙石(あるいは千石)姓は織田信長・羽柴秀吉に仕えた仙石秀久が1000石の知行を得たことから名乗ったという。天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が死去した後は秀吉に仕えたが、天正14年(1586年)の戸次川の戦いで失態を犯したために戦後に秀吉の命令で改易された。秀久はその後、徳川家康に接近して小田原征伐を経て大名へ復帰し、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属して6万石の小諸藩主になった。
秀久の子孫は国替えや分知を経て宝永3年(1706年)に5万8000石の但馬出石藩主となる。江戸時代後期に有名な御家騒動である仙石騒動を引き起こし、江戸幕府の介入を受けて2万8000石を削減され、3万石になったが、明治維新まで存続した。明治17年(1884年)の華族令で子爵に封じられた。
ちなみに、大目付として、元禄赤穂事件や江島生島事件の捜査に当たった仙谷伯耆守久尚は分家の分家筋の旗本である。