ブータン
ブータン王国(ブータンおうこく、BT)とは、東部ヒマラヤ山脈の南麓に開ける形で存在している内陸国である。政体は立憲君主制。国土面積は3.8平方キロ(日本の九州とほぼ同じ)。人口は2011年の時点で70万8000人。人口密度は18.5人/㎢。首都はティンプー。ブータンとはサンスクリット語の「Bhota(チベットの自称名)unta(端を意味する)」から来るもので、ブータンでは「竜の国」を意味するドゥルッキュルと呼ぶ場合もある。
概要[編集]
歴史[編集]
この地域は長きにわたってチベットの支配下に置かれていた。1907年にウゲン・ワンチュクが王位を宣言して即位したことにより、君主制が成立する。3年後の1910年3月24日、チベットの支配から完全に離脱し、イギリスに外交権を預けてその保護国になる形で独立を果たした。1947年、それまでイギリスの植民地であったインドが独立したことにより、外交権をインドに移管した。
ブータンはその地理的な場所もあって鎖国政策を独立以来継続していたが、1960年代に入った頃から国内で近代化を求める動きが高まり、1971年9月21日に国連に加盟して鎖国を打破して近代国家としての体裁を整えた。1974年には積極的な開国政策を採用し始め、外国人旅行者を受け入れることを開始した。
ただ、長きにわたる鎖国政策からこの国は閉鎖的で、特に政治は遅れていたことから1990年代に入るとネパール系の住民から民主化の要求が高まりだした。これに対して政府はおよそ10万人に及ぶ住民の国外追放を実施して君主制を守ろうとした。このため、ネパールとの関係は大幅に悪化し、国内政治も君主制による独裁的な政治が行なわれて成文化された憲法も無く、政党の活動も禁止されていた。2008年7月になってようやくネパール史上初となる憲法が公布され、情報化も徐々に進められていくようになっている。
地理[編集]
国土の半分が標高2000メートル以上の高地であるが、ブータン南部はドワールと呼ばれる亜熱帯性密林が広がっている。北部は山岳気候で中部は大陸性気候、南部は亜熱帯とバラバラだが、南西モンスーンの影響をもろに受けることから雨量は非常に多い。首都・ティンプーの年平均気温は13.5度で、最高気温が8月の20.5度、最低気温は1月の4.5度であり、年間降水量は843ミリである。
経済など[編集]
この国は鎖国政策を採用していたことから近代化が大幅に遅れていた。実は1968年になるまで経済は物々交換であり、それ以降が貨幣経済に移行したのである。テレビの初放映に至っては1999年であり、経済基盤が非常に未成熟で世界から見て最貧国の一つにまで数えられている。ただ、経済指標だけでなく、環境保全や伝統文化の維持など総合的に軽量化した国民総幸福量(GNH)という独自の国家目標を掲げており、食糧も自給状態で、教育や医療も無料で行なわれているなど、生活的な実感では非常に豊かな国とも言える。
開国政策に転換すると外国からの旅行客を積極的に受け入れたものの、それによる観光公害を憂慮した政府は1988年に外国人観光客の年間受け入れ枠を2500人以内に制限し、同時に僧院や聖域への入域規制も開始した。1989年には伝統的なブータン社会を保護するドリグラム・ナムザ政策を実施し、男性は「ゴ」、女性は「キラ」と呼ばれる民族服を外出着として着用するように強制している。
この国は宗教的な考えから喫煙を「悪」と見なしており、2004年に国内での煙草販売を一切禁止している。これにより、ブータンは世界初の完全禁煙国家となった。
開国により情報化も進められ、1999年に衛星TVとインターネット、2003年に携帯電話が解禁。2006年には初の民間新聞2紙が刊行された。
観光がこの国の経済の大黒柱であるが、最大の輸出品目は水力発電によるインド向けの電力であり、2002年からは国民に所得税の納入が義務付けられている。
宗教[編集]
住民[編集]
言語[編集]
通貨単位[編集]
- ニュルタム(Ngultrum)
国内総生産[編集]
- 1人当たり国内総生産は1978米ドル(2010年)
外部リンク[編集]
政府[編集]
日本政府[編集]
- 日本外務省 - ブータン王国
- 在インド日本国大使館 - 在ブータン大使館を兼轄