バチカン市国

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国旗

バチカン市国(バチカンしこく)は、ヨーロッパ南部の国家である。世界に12億人の信者を有するローマカトリック教会の総本山である。ヴァチカンヴァティカンとも書かれる。

概要[編集]

地理[編集]

面積は0.44km²と世界で最小の主権国家であり、イタリア共和国に囲まれている。イタリアの首都・ローマ市内にあるバチカン丘の上、テヴェレ川の右岸にある。国境は城壁に沿って引かれている。イタリア共和国との出入りは自由。その領土の広さは日本皇居の半分以下である。

人口[編集]

人口は793人(2012年1月時点)。人口密度は1802.3人/㎢(2012年1月時点)。都市人口率は100パーセント(2012年1月時点)。

歴史[編集]

64年ローマ帝国の第5代皇帝ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスの迫害のために殉教したキリストの使徒・ペテロがバチカンの丘の上に葬られる。349年にペテロの墓の上に聖ピエトロ聖堂が建てられ、756年フランク王国カロリング朝の王・ピピン3世(小ピピン)がラヴェンナなどの都市をローマ法王に寄進し、これにより教皇領が誕生した。1377年アビニョン捕囚から復権した教皇聖座がバチカン宮殿に置かれ、以後教皇庁の本拠となった。1869年から1870年第1バチカン公会議が開かれ、19世紀イタリアの近代国家統一によりほとんどの教皇領を失ったが、1929年2月11日ベニート・ムッソリーニ首相と教皇代理・ピエトロ・ガスパリ枢機卿との間でラテラノ条約が結ばれた。1929年6月7日に発効され、イタリア王国によって「バチカン市国」の独立が確認されることになった。

1962年から1965年にかけて第2バチカン公会議が開かれ、教会刷新・近代化路線が定着する。

政治[編集]

バチカン市国を統治しているローマ教皇庁の指導者・ローマ法王ローマ教皇)は、枢機卿によるコンクラーヴェで選ばれる。カトリック教徒の80歳未満の男性ならば誰でもなる資格はあるが、枢機卿の中から選ばれるとみていい。枢機卿同士の投票で3分の2以上の得票を得たものが教皇に選ばれる。教皇は任期はないが、自ら辞任することは可能である。

ローマ教皇を国家元首とする独立国家のバチカン市国と教皇を首長として世界のカトリック教会を支配する教皇聖座の聖俗両面の総称がバチカンである。

バチカン市国、ひいてはローマ・カトリック教会の中央政府のような組織で教皇の責務を補佐するものとしてローマ教皇庁(キュリア・ロマーナ)がある。バチカン市国は小国であるが各種の省をはじめ、裁判所評議会委員会事務局などが存在し、複雑に関連しあいながらも機能している。

経済[編集]

国家財政は資産(ラテラノ条約締結時にイタリア政府から支払われた賠償金など)の運用や切手コインの販売、各国の教会献金などによって支えられている。予算赤字伝道慈善事業に当てるための教皇献金(ペテロ献金)で穴埋めされている。2009年の決算は歳入は2億5018万ユーロ歳出は2億5428万ユーロで、410万ユーロの赤字となっている。通貨はユーロ。

民族・宗教・言語[編集]

日本[編集]

日本においては1952年から外交関係を結んでいる。1958年からバチカン市国の大使館が置かれた。大使館は東京都千代田区三番町にある。

バチカン市街の施設など[編集]

バチカン市国を題材とした作品[編集]

外部リンク[編集]