東雲

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東雲(しののめ、とううん)は、そもそも日本の古語で闇から光へと移行する夜明け前に茜色にそまる空を意味しており、以下のような場面で使われている。

日本の地名[編集]

東日本[編集]

西日本[編集]

軍事関係[編集]

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駅名[編集]

  • 鉄道駅 → 「東雲駅」と表記される駅は日本と韓国にある。東雲駅を参照のこと。

新聞[編集]

  • 『東雲新聞』1888年(明治21年)1月 - 1891年(明治24年)10月。東雲新聞社。民権派の論客、中江兆民が主筆。

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学校・企業[編集]

遊郭[編集]

  • 熊本県二本木にあった遊郭東雲楼」の略。
    • 1900年(明治33年)娼妓によるストライキ演歌東雲節』に「東雲の ストライキさりとはつらいね てなことおっしゃいましたかね」と歌われ全国的に有名となる。このエピソードをもとに1994年(平成6年)『東雲楼 女の乱』が制作されている。当時は娼妓の自由廃業が法的に認められた時期で、全国の遊郭で廃業を求める娼妓と楼主の間で衝突があり、それが熊本に残っていた俗謡の替え歌として当地で歌われたのがきっかけで全国に広まったと言われている[1]。当時の東雲楼を知る者の中には、実際にはストライキではなく、同じ熊本市にあった別の遊郭で娼妓の借金減額があり、それを聞いた東雲楼の娼妓らが同様に楼主に減額を求めたもの、と証言する者もある[2]

歌手名[編集]

脚注[編集]

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  1. 東雲のストライキ『娼妓解放哀話』沖野岩三郎著 (中央公論社, 1930)
  2. 東雲のストライキ『生きている歴史』毎日新聞社サンデー毎日編集部編 (教材社, 1940)

関連項目[編集]