館山城 (安房国)
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館山城(たてやまじょう)とは、安房国安房郡(現在の千葉県館山市館山351-2)にかつて存在した日本の城である。現在は城山公園となっている。
概要[編集]
館山市街の南方の平坦な山頂を横たえる海抜70メートルほどの丘陵上にあった城である。
安土桃山時代に里見氏の第9代当主で安房国主の里見義康が天正16年(1588年)から2年の歳月をかけて築いた平山城である。天正18年(1590年)に館山城は完成したが、この年に行なわれた豊臣秀吉の小田原征伐で義康は秀吉の軍陣に遅参したため、その咎により安房1国9万2000石に領土を削減され、さらに関東の太守に任命された徳川家康の与力大名に任命された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に属したため、戦後に義康は家康から常陸国鹿島に2万2000石を加増された。義康は慶長8年(1603年)に31歳の若さで死去し、その嫡子の里見忠義が跡を継いだ。しかし慶長19年(1614年)、相模国小田原藩主の大久保忠隣が家康の命令で改易された際、忠義は連座によりほとんど改易同然に伯耆国倉吉藩3万石に移封され、この際に館山城は破却された。
現在は城の遺構として外堀の一部、鹿島堀が残存する。公園内には桜や躑躅が多く、丘の頂上からは鏡ヶ浦の美しい眺めを堪能できる。また近くに里見氏の菩提寺である慈恩院、元和8年(1622年)に忠義が死去した際に殉死し、有名な『南総里見八犬伝』のモデルとなったといわれる8人の遺臣の墓もある。