倉吉藩
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倉吉藩(くらよしはん)は、江戸時代初期の短期間に伯耆国に存在した藩である。藩主家は外様大名の里見氏。石高は3万石。藩庁は倉吉城。現在の鳥取県倉吉市に存在した。
概要[編集]
慶長19年(1614年)、安房国館山藩主の里見忠義は、大久保忠隣の改易に連座して改易された。この際、里見領のうち常陸国鹿島に存在した3万石の替地を倉吉に与えられて、ここに倉吉藩が立藩した。ただし、忠義はあくまで罪人であり、その所領も藩政というにはほど遠いものだったと言われている。そして、忠義が死去すると同時に廃藩となった。
その後、倉吉は鳥取藩の所領となり、そこには同藩の陣屋が置かれた。倉吉は鳥取藩領の中でも商業の中心地として繁栄し、江戸時代後期になると木綿の集散地、稲作の千歯扱の産地として知られるようになった。
歴代藩主[編集]
- 里見家
外様。3万石。