津軽海峡

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津軽海峡(つがるかいきょう)は、本州北海道の間にある海峡である。

概要[編集]

日本の最も大きな島である本州と、その北にある北海道に挟まれた海峡で、西は日本海に、東は太平洋に繋がり、南は陸奥湾に連なる平舘海峡に繋がっている。
日本の主要4島を隔てる海峡の中で最も幅が広く、水深も深い。1988年に、津軽海峡の真下に青函トンネルが完成し、本州と北海道が陸路で結ばれることとなった(ただし鉄道のみ)。

地理[編集]

本州北海道に挟まれた海峡。海峡の幅は宗谷海峡国後水道対馬海峡と比べて狭く、一番狭い青森県大間町の大間崎と北海道函館市の汐首岬の間は18.5kmである。一方、水深は日本海と太平洋を繋ぐ海峡の中で最も深く、一番浅い所でも約140mある。

海峡に面した町の中で、圧倒的に一番大きいのは北海道側の函館市で、津軽海峡に突き出た陸繋島が中心市街地である。他に、松前町も江戸時代は松前藩の城下町として栄えていた。

交通[編集]

海峡のすぐ北岸に函館空港がある。

海峡西寄りの真下を鉄道専用の青函トンネルが通っていて、客貨輸送を行っている。旅客列車は北海道新幹線の列車が運行していて、本州側は奥津軽いまべつ駅、北海道側は木古内駅が一番海峡寄りの駅である。かつては津軽海峡の下に竜飛海底駅(本州)、吉岡海底駅(北海道)もあり、青函トンネル見学専用の駅であった。
海峡東寄りはトンネル可否調査が実施されたものの水深が深いため断念した。鉄道も戦時中に本州側で大間線、北海道側で戸井線が着工されたものの両方とも完工することはなかった。

内航航路津軽海峡フェリー公設民営方式で大間と函館を結ぶ航路を運航している。

歴史[編集]

平安時代、11世紀後半頃に、津軽海峡の南岸が間接的ではあるが日本の中央の支配が及ぶ様になったと言われている。

12世紀を通して、奥州藤原氏が津軽海峡の南岸を支配した。十三湊(現在の五所川原市十三)が貿易港として栄え、大きな利益を得ていた。その後奥州藤原氏は滅亡、鎌倉幕府の支配下となったが、この地を直接治めていた安東氏が鎌倉・室町時代に栄えた。安東氏は津軽海峡の北岸にも進出、ごく一部ではあるが北海道が日本に組み込まれることとなった。

室町時代頃から、現在の青森県南東部を拠点としていた南部氏が津軽海峡の南岸に進出、安東氏は現在の秋田県と北海道が主な領土となった。戦国時代になると、北海道で蠣崎氏が安東氏より独立、後に松前氏となる。江戸時代は、北岸が松前氏松前藩、南岸の東部が南部氏盛岡藩、南岸の西部が南部氏より独立した津軽氏弘前藩領であった。

幕末大政奉還後、新政府軍と旧幕府軍の間で戊辰戦争が起こり、戦線は北へ北へと移動。旧幕府軍が北海道で独立宣言を行い、函館が最後の戦地となったが、短期間で降伏、新政府軍により全国統一となった。

昭和戦後には洞爺丸事故を機に、青函トンネルの調査・着工が実施され、現在は外ヶ浜町の一部となっている三厩村と今別町が建設景気で潤ったが、トンネル開通後は勢いが衰退した。

関連項目[編集]

脚注[編集]