烏山城
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烏山城(からすやまじょう)とは、栃木県那須烏山市城山にかつて存在した日本の城である。
概要[編集]
烏山市街の北西に位置する標高200メートル前後の丘陵地に存在した山城。室町時代中期の応永25年(1418年)、那須資重によって築城されたといわれる。なお、山の形が牛が寝ている姿に似ていたことから、臥牛城(がぎゅうじょう)とも言われた。
那須氏の歴代の居城となり、那須氏は下野国において勢力を振るったが、天正18年(1590年)の小田原征伐において那須資晴は豊臣秀吉のもとに遅参したことから、秀吉によって改易された。その後、成田氏長が入城する。
元和9年(1623年)、松下重綱が入るも、寛永4年(1627年)に堀親良、寛文12年(1672年)に板倉重矩、天和元年(1681年)に那須資弥、貞享4年(1687年)に永井直敬とたびたび城主が交代した。享保10年(1725年)に大久保常春が入城することでようやく城主は大久保氏のもとで定着。以後、大久保氏の支配を経て明治維新を迎えたが、その明治維新を経てしばらくしての火災で烏山城は全焼してしまった。
現在は石垣、土塁などの遺構が残されており、中世の貴重な山城として学術的な調査も進められている。