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瀬戸弘幸

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
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瀬戸 弘幸(せと ひろゆき、1952年3月3日[1] - )は、右翼活動家、ジャーナリスト。

日本憂国同志会[編集]

瀬戸のブログによると、1974年に篠原節が代表を務める右翼団体「民族思想研究会」の会員となった。24歳のときに民族思想研究会の一部の会員を引き継いで憂国青年同志会を結成した[2]。後に日本憂国会[3](大日本憂国会[4])に改称した。瀬戸が『別冊宝島 ネット右翼ってどんなヤツ?』(宝島社、2008年)に寄稿した文章によると、憂国青年同志会(後に日本憂国会)という名称で行動右翼として活動してきたが、一般人の共感を得られるような運動ではないため、35歳の頃に右翼街宣車による活動を控えるようになった[5]。瀬戸の団体を瀬戸のブログや『読売新聞』1986年10月16日付朝刊(東京版)の記事は「日本憂国会」としているが[6]日本社会党の『国民政治年鑑』や山平重樹の『果てなき夢』(二十一世紀書院、1989年)は「日本憂国同志会」としている[7][8][9]。瀬戸は著書『国士・中曽根康弘先生』(自由公論社、発売:けいせい出版、1984年)の34頁で1983年の静岡市長選に「自ら組織する諸派(日本憂国会)の候補」として出馬したと述べているが、同書の37頁に掲載されている選挙ポスターには「右翼団体・政治結社日本憂國同志会を主宰」と記載している。

瀬戸のブログによると、『別冊宝島 ヤクザという生き方』(JICC出版局、1986年)に掲載された朝倉喬司の文章に登場する「銀座に本拠を置くある右翼結社の首領」とは瀬戸のことである。この頃の瀬戸は「民族運動と言うよりは右側からの「窮民革命」を目指し」、街宣車に「全ての怒りを権力へ!」「窮民革命に決起せよ!」のスローガンを掲げていたという[10]。2003年時点では「私は日本憂国会という右翼団体から会長の座は退いていたが、初代会長として実権は握っていた」とされ、2022年時点では「今は三代目の会長の時代で、現在は実権はないが、会員はいまでも精神的指導者として私を尊敬しているようだ」とのことである[11]

統一戦線義勇軍[編集]

堀幸雄によると、1981年8月9日に反ソ統一戦線義勇軍が結成され、9月23日に統一戦線義勇軍に改称した[12]。1981年9月23日に北方領土奪還青年委員会一水会大日本皇心塾、日本憂国同志会など6団体20数人の若手活動家が統一戦線義勇軍を結成。大日本皇心塾、大日本憂国同志会は離脱し、北方領土奪還青年委員会は義勇軍参加のため1983年に解散した。1982年9月に内部でリンチ殺人事件が起き、日本憂国同志会に出入りしていたメンバーが殺害された[13]山平重樹によると、1981年7月14日に一水会や北方領土奪還青年委員会を中心とする活動家有志と日本憂国同志会で結成された「7・14教育はこれでいいのか! 市民連合」が文部省・経団連弾劾行動を行った。7・14参加者は8月9日の反ソデーに向けて再結集を確認し、北方領土奪還青年委員会の木村三浩、一水会の常弘正沢井康男、日本憂国同志会の瀬戸弘幸、大日本皇心塾の勝又洋祖国文化を護る会星昌男などを中心に「反ソ統一戦線・義勇軍」を結成した[9]。7・14、8・9の準備段階を経て、木村、常、沢井の3人が中心となり、北方領土奪還青年委員会を発展的に解消する形で統一戦線義勇軍を結成した[14]。1982年9月に内部でリンチ殺人事件が起きた。殺害されたのは、大日本皇心塾に入ったばかりだったが、組織内部を攪乱するような言動があったとされ、日本憂国同志会の瀬戸のもとに預かりの身になっていた人物であった[15]。1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件では「元統一戦線義勇軍の世界戦略研究所・瀬戸弘幸」は支持声明を発表した[16]

瀬戸弘幸のブログの記事「初めて明かす義勇軍創設と私の立場」(2009年1月30日)によると、『別冊宝島 昭和・平成コールドケース』(宝島社、2009年)で赤報隊事件の容疑者10名のひとりである「新右翼T軍の創設にも関与したジャーナリストのS」とは瀬戸のことである。当時のことについて「昭和56年頃、私は東京・東銀座の合同環衛ビルという所を事務所兼住まいとして、日本憂国会という名称で右翼活動をしていました。当時、私は皇心塾、一水会、北方領土奪還青年委員会などに所属する若い活動家と一緒に活動していましたが、そのような活動家が横断的に結合して出来たのが「統一戦線義勇軍」という組織でした」と述べている[17]

サンデー毎日』2009年2月22日号に掲載された「『週刊新潮』朝日新聞襲撃犯への疑問の声」は瀬戸について「かつて「統一戦線義勇軍」を創設して赤報隊との関連を疑われた政治ブロガーの瀬戸弘幸氏」と紹介したが、3月1日号で「かつて『統一戦線義勇軍』を創設」とした瀬戸弘幸氏は、同軍を創設した人ではありませんでした」と訂正を行った。統一戦線義勇軍議長の針谷大輔は、瀬戸は同軍の創設者ではないため、編集部に訂正を求めたという[18]。針谷は瀬戸のブログの記事について「瀬戸氏は、統一戦線義勇軍の前身である「反ソ義勇軍」には積極的に関与。そして統一戦線義勇軍の結成にも関係はしています。ただ、この場合でいう「創設者」では有りません。「書かなければいいのになあー」というのが私の本音。」と述べている[19]。瀬戸はブログの記事「NHKに「赤報隊」の名で実弾が郵送?」(2009年2月24日)でサンデー毎日の訂正について「創設者とした毎日の記事はサンデー毎日の記者が抗議を受けて訂正したものであり、私がサンデー毎日の記者にそのように話をして書かれた記事ではありません。この件については詳しく書けば嫌なことも書かなくてはならず、今さらそのようなことを話題にしても意味がないので私のほうから申し上げることは今の段階では考えておりません。」「尚、現在の統一戦線義勇軍とは私は一切関係がありません。」「私のブログでの記事は創設時における私の関わりを述べたものであり、まるで私が事実を捏造して書いているように言う人がおりますが、それは明らかに違うと申し上げておきます。」と述べている[20]

瀬戸弘幸のブログの記事「木村三浩氏(一水会)が右翼人生に幕(1)」(2015年5月23日)では木村三浩について「一時期彼とは反ソ統一戦線義勇軍として一緒に活動していた時期もある」と述べている[21]

ネオナチ[編集]

1983年に世界戦略研究所を創立した。1986年に篠原節とともに自然社会主義協会を結成した。1991年に民族思想研究会、世界戦略研究所、自然社会主義協会、国家社会主義日本労働者党の4団体が統合してネオナチ組織「国家社会主義者同盟」(篠原節代表、瀬戸弘幸副代表)を結成した。4団体はその後も個別の活動を継続している。2007年4月に既に活動停止状態となっていた国家社会主義者同盟の副代表の肩書きを返上した[22]

維新政党・新風[編集]

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に維新政党・新風公認で比例区から立候補して落選した。個人名での投票14,675票だった[23]。2007年12月に新風の新年度からの副代表に就任した[24]。2009年6月末で記者職に専念するため副代表を辞任した。今後も一党員として活動を続けるという[25]。2016年時点でも党員であったが[26]、2019年時点で既に離党していた[27]

行動する保守[編集]

西村修平村田春樹、瀬戸弘幸、桜井誠の4人が「行動する保守」運動の創始者であるとされる。2004年5月に弟子の有門大輔とともにNPO法人外国人犯罪追放運動(有門大輔理事長)を設立し[22]、顧問[28]、最高顧問を務めた[29]。2005年6月にブログ極右評論」(2007年8月に「せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』」に名称変更[30])を開設し、頻繁に更新して人気を誇った[31]。2007年6月に「河野談話の白紙撤回を求める署名」を通して主権回復を目指す会代表の西村修平と知り合い、ブロガーの「よーめん」とともに河野談話の白紙撤回を求める市民の会(西村修平代表)の呼びかけ人となった[32]。この頃に在日特権を許さない市民の会(在特会)会長の桜井誠と知り合った[33][34]。在特会の会員として活動したとされるが[35]、本人によると一緒に活動したものの一度も籍を置いたことがないという[36]。2007年11月に桜井が小平駅前で行った街頭行動に西村とともに同行した[37]。2008年9月1日に東京都東村山市で行われた反創価学会の街頭宣伝に西村らとともに参加した[38]。2012年7月に創価学会・公明党を批判する「政教分離を求める会」を設立して代表を務め、2020年4月に顧問となり、新代表に副代表(代表代行)の有門大輔が就任した[39]

2016年8月に日本第一党(桜井誠党首)が設立され、最高顧問に就任した[40]。2023年2月1日に統一地方選挙に無所属で出馬することを理由に党最高顧問を辞任した[41]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『使途不明金』(せと弘幸著、自由公論社、1984年)
  • 『国士・中曽根康弘先生――昭和維新の志士・戦後初の右翼宰相』(自由公論社、発売:けいせい出版、1984年)
  • 『極悪 徳陽相銀を喰ったハイエナ軍団‼――政界と大蔵官僚の黒い疑惑』(全日本象牙鑑定保証協会、1985年)
  • 『東南アジアの反日感情を煽る“味の素”』(世界戦略研究所[シリーズ日本企業の世界戦略]、発売:展転社、1986年)
  • 『日米友好時代は終った』(世界戦略研究所編、世界戦略研究所、1987年)
  • 『外国人犯罪――外国人犯罪の全貌に迫る!』(世界戦略研究所、発売:セントラル出版、2000年)
  • 『パソコンソフトウェア販売会社ソースネクストの重大疑惑――パソコンソフトウエア販売会社 業務上横領、詐欺、有印私文書偽造、特別背任…驚愕の手口を全公開!!』(日刊中央通信社、発売:雷韻出版、2004年)
  • 『ネットが変える日本の政治』(岩崎企画、発売:コアラブックス、2007年)
  • 有田芳生の研究――参議院議員有田芳生とは何者か!?』(青林堂、2016年)
  • 『現代のカリスマ、桜井誠――ジャパンファースト!時代を変える英雄、遂に登場!』(青林堂、2016年)
  • 『福島原発事故と左翼』(青林堂、2017年)
  • 『田母神裁判傍聴記』(青林堂、2017年)
  • 『連帯ユニオン関生闘争記』(青林堂、2019年)

共著[編集]

  • 『ヒトラー思想のススメ――自然と人類を救済するナチス・ヒトラー世界観の120%肯定論』(篠原節共著、世界戦略研究所編、展転社、1990年)

出典[編集]

  1. 皆様に感謝します。 せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2019年3月4日
  2. 自分の昭和史(2) せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2010年4月29日
  3. 私(せと弘幸)とは、どのような人間なのか? せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2021年1月27日
  4. しばき隊は分裂か? せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2014年11月11日
  5. 瀬戸弘幸「私はなぜネット右翼を主張するのか!――行動右翼からの転身と遍歴」『別冊宝島 ネット右翼ってどんなヤツ?』宝島社、2008年、73-78頁
  6. 21年前の逮捕事件について せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2007年2月24日
  7. 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1983年版』日本社会党中央本部機関紙局、1983年、653頁
  8. 国民政治年鑑編集委員会編『国民政治年鑑 1984年版』日本社会党中央本部機関紙局、1984年、634頁
  9. 以下の位置に戻る: a b 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、310-312頁
  10. 明日の緊急集会を前に過去を振り返る せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2010年11月4日
  11. 石原慎太郎先生に哀悼の意を捧げる(3) せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2022年2月10日
  12. 堀幸雄『最新 右翼辞典』柏書房、2006年、654頁
  13. 堀幸雄『右翼辞典』三嶺書房、1991年、433頁
  14. 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、309-310頁
  15. 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、318-319頁
  16. 山平重樹『果てなき夢――ドキュメント新右翼』二十一世紀書院、1989年、384頁
  17. 初めて明かす義勇軍創設と私の立場 せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2009年1月30日
  18. サンデー毎日2月22日号の記事に関して 統一戦線義勇軍 議長 針谷大輔のブログ、2009年2月13日
  19. サンデー毎日の柔軟さを、この先新潮も見習えと、警告して置く! 統一戦線義勇軍 議長 針谷大輔のブログ、2009年2月17日
  20. NHKに「赤報隊」の名で実弾が郵送? せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2009年2月24日
  21. 木村三浩氏(一水会)が右翼人生に幕(1) せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2015年5月23日
  22. 以下の位置に戻る: a b 農と風景・福島の種まき兎 せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2007年4月30日
  23. 2007参議院選挙;比例区開票結果・維新政党・新風 asahi.com
  24. 維新政党・新風 副代表就任挨拶 せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2007年12月18日
  25. 皆様へのお知らせ せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2009年6月30日
  26. 参院選挙を終えての総括と感想 せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2016年7月11日
  27. 川崎での戦いを継続します。 せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2019年4月8日
  28. ネットが変える日本の政治 紀伊國屋書店
  29. 外対声明! 外国人犯罪撲滅協議会
  30. 「日本よ何処へ」で再スタート! せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2007年8月20日
  31. 宮城佑輔「右派系社会運動における2つの文化 <右翼・民族派> と <右派系市民団体> の相互作用過程」『ソシオロジカル・ペーパーズ』第26号、2017年6月
  32. 河野談話の白紙撤回を求めて せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2007年6月16日
  33. 在特会への弾圧を許すな(1) せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2010年8月11日
  34. 行動する保守運動から育つ新たな芽 Doronpaの独り言、2009年12月7日
  35. ヒトラー生誕パーティー呼びかけ/田母神氏の支援者 しんぶん赤旗、2014年2月14日
  36. 大阪の増木重雄さんが死去 せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2022年7月16日
  37. 外国人排斥に狂奔する日本の草の根保守運動 「在日特権を許さない市民の会」の足取りを探る 日刊ベリタ、2009年6月8日
  38. 明戸隆浩、曺慶鎬、清原悠、富永京子『「現代日本における反レイシズム運動」共同研究 中間報告書』2015年
  39. 『政教分離を求める会』について せと弘幸BLOG『日本よ何処へ』、2020年4月4日
  40. 元在特会会長が「新党」 桜井誠氏、「日本第一党」立ち上げ、J-CASTニュース、2016年8月30日
  41. 日本第一党役員人事のお知らせ 日本第一党

外部リンク[編集]