津金寺

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津金寺(つがねじ)は、長野県北佐久郡立科町にある天台宗の寺院。山号は慧日山。院号は修学院。

概要[編集]

大宝2年(702年)に行基が開創したと言われている。天長2年(825年)に慈覚大師円仁がやって来て堂宇を造営し、それが縁で天台宗信濃国における講学所となり、僧坊は24院、末寺は48寺を数える大寺院になった。

室町時代前期の応安年間(1368年から1375年)には穏海という僧侶が堂宇を修復して再興したという。武田信玄による信濃侵攻によって信濃が武田領になると、永禄4年(1561年)に信玄は寺領として100石を寄進して深く帰依したといわれている。しかし信玄の死後、武田氏は急速に衰退して天正10年(1582年)3月に織田信長織田信忠らによって武田征伐が行われた際にこの寺は焼失した。

後に本能寺の変を経て徳川氏の支配下に入ると、徳川氏に仕えていた武田家の旧臣・依田康国によって天正14年(1586年)に再興した。慶安元年(1648年)、青山宗俊が重興し、寛文10年(1671年)に第4代征夷大将軍徳川家綱から寺領として19石4斗の寄進を受けた。その後も何度も改修が行われるなど、時の権力者の手厚い保護を受けていた。

境内の広さはおよそ9100平方メートル、本堂や庫裏、山王堂、仁王門、弥陀堂、地蔵堂、妙見堂などがあり、行基の作といわれる聖観音菩薩像などもある。また、武田信玄や徳川氏の朱印状なども寺宝として存在しているほか、滋野氏一門の供養塔や長野県の県宝である石造宝塔(鎌倉時代の作で3基)もある。

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