林勝久

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林 勝久
はやし かつひさ
改名 右近
性別 男性
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生年月日 天正9年(1581年
死没日 慶安5年4月16日1652年5月23日
国籍 日本国旗.png日本
職業 山内家・家老
武器  
口癖  
名ゼリフ  
家族構成 父:林一吉
補足 織田信長に追放された林秀貞の孫
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林 一吉(はやし かずよし)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将山内氏家臣

生涯[編集]

父は林一吉慶長9年(1604年)に父が死去したため、家督を相続して5000石の所領と窪川城主の地位、土佐藩家老の職も引き継いで山内一豊に仕えた[1]。慶長10年(1605年)に一豊が死去したため、後継者の忠義に仕えた。

慶長19年(1614年)からの大坂の役では、忠義に従って徳川方として参加している。慶安5年(1652年)4月16日に死去した。享年72。子孫は土佐藩の中老を世襲した[1]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. a b 小和田「山内一豊のすべて」P224

参考文献[編集]