木次町
木次町(きすきちょう)とは、かつて島根県大原郡にあった町である。現在は雲南市の一部となって残念ながら消滅している。
概要[編集]
明治24年(1891年)に町制を施行する。昭和26年(1951年)に旧木次町と斐伊村が合併して新しい木次町が誕生し、4年後の昭和30年(1955年)に木次町と日登村・仁多郡温泉村が合併して雲南木次町が発足し、木次町は一時的に廃止された。2年後の昭和32年(1957年)に再び木次町と改名し、さらに三刀屋町の一部を編入した。
歴史的には古くから出雲国南部の中心地として栄えた場所であることから、『出雲国風土記』では古代に斐伊に大原郡を統治する郡家が置かれていたとある。江戸時代には出雲和紙の産地として大いに栄えた上、斐伊川を利用した船運の最終地としてもこの地域は重視され、和紙の市場町・運送の最終地点として大いに栄えた。江戸時代前期の慶安2年(1649年)には毎月3と8の日には6度の紙市が立つほどの賑わいを見せ、現在でもこの地に残る地名の三日市や八日市はその際の名残なのだという。江戸時代末期から明治時代にかけては木次千歯(稲こき機)の生産地としても栄え、当時の木次出身の商人は「木次もん」と呼ばれるほど有名だったという。
歴史的に古くから栄えたこの町は戦後の昭和30年代に突入するまでは農業と林業を中心とした主要産業が全体の半分を占めていたが、これ以後は工場を誘致したり卸売業や小売業などの第三次産業の伸びもあって産業構造が大きく変化し、現在は商業の町となっている。平成4年(1992年)には駅前再開発事業の一環として文化ホールとショッピングセンターを複合した木次経済文化会館(チェリヴァホール)を建設して雲南地方の中心地としてなおも君臨した。
この町は古くから歴史があるため、出雲神話にちなむ旧跡が多く、景勝地として桜トンネル・木次公園・権現岩などがあり、江戸時代後期の享和4年(1804年)に始まるという槻之谷神楽は国の無形民俗文化財に指定されている。七夕おどり、山くずしおどり、関の五本松おどりの3つで構成される木次の盆踊りも古くから有名である。また、町域の南部はかつての温泉村にあたるため、出雲湯村温泉があり、この周辺には八岐大蛇にまつわる伝説も数多く存在する。
平成16年(2004年)11月1日、三刀屋町・吉田村・大原郡大東町・掛合町・加茂町と合併して雲南市が発足したことにより、木次町は廃止された。斐伊川堤防桜並木が日本さくら名所100選に選ばれている。