加茂町 (島根県)
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加茂町(かもまち)は、島根県大原郡に存在していた町である。現在は雲南市の一部となり消滅している。
概要[編集]
昭和9年(1934年)5月に加茂村・神原村・屋裏村の3町村が合併して加茂町が発足した。この町は赤川の流域に開けた町であり、町域の中央を国道54号線が南北に縦貫して宍道と三刀屋に至り、その東側をJR木次線が走っているが木次へは大東を迂回する。
歴史的には古い町で、町内各所に多数の古墳群が残っている。古代には神原郷・屋代郷・屋裏郷の3郷に分かれ、人口も2500人ほどはいたものと推測されている。そのためか、平成8年(1996年)には岩倉の農道工事中に多数の銅鐸が見つかり、1か所での出土例としては過去最多で、古代史の謎を解く発見として注目された。
盆地状をなす町域は地形上から排水に不利であり、江戸時代中期までは大部分が沼地となっていた。現在では堤防によって耕地や民家は守られているが、それまでの昭和36年(1961年)、昭和39年(1964年)、昭和40年(1965年)には立て続けで水害に見舞われ、赤川流域はかなりの被害を受けた。
主要産業は稲作を中心とした農業であるが規模は小さく、葡萄や茶栽培なども行なわれるなど多角経営が行なわれている。平成2年(1990年)からは「遊学の郷」をスローガンにしてスポーツと文化の拠点整備事業を進めている。
平成16年(2004年)11月1日、木次町・大東町・飯石郡三刀屋町・掛合町・吉田村と合併して雲南市が発足したことにより、加茂町は廃止された。