ワシリー・ボイスマン
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ワシリー・ボイスマン(Wassily Boyesman、1854年頃 - 1905年)とは、ロシア帝国の海軍大佐である。戦艦ペレスヴェートの艦長を務めていた。
略歴[編集]
1904年8月、日露戦争の黄海海戦で日本海軍との砲撃戦でペレスヴェートは損傷。
同年12月、旅順港に停泊していたとき日本陸軍から砲撃を受けて着低した。日本陸軍は203高地から正確な測量を行い、曲射砲で山の背後から砲撃したのであった。
このときペレスベートは被弾しておらず、敵に利用されないように自沈させようとしたのだという説もある。
その後、旅順要塞の降伏に伴い、捕虜となる。負傷していたため帰国が認められるが、部下を残して自分だけが帰国することを拒否。そのことで敵(日本)から絶賛されるが収容所で死亡した。愛媛県に墓と銅像が建てられている。
その他[編集]
ボイスマン大佐の世話をしていた日本人看護婦にはロシア皇帝から勲章が贈られている。
ペレスヴェートは修理され「相模」と改名されて日本海軍が使っていたが、後にロシアに返還されている。その後、第一次大戦で機雷に触れて沈没した。