島氏
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島氏(しまし)とは、日本の氏族である。筒井順慶や石田三成に仕えた名将・島左近で非常に著名である。
概要[編集]
大和島氏[編集]
戦国時代から確認できる島氏で、元は大和国平群郡(現在の奈良県)の土豪だった。島左近は大和の実力者である筒井順慶に仕えたが、天正12年(1584年)に順慶が死去すると筒井氏家中における騒動もあって、筒井氏から退去する。その後、様々な主君に仕えた末に、豊臣秀吉の下で権勢を振るっていた石田三成に仕えて、1万5000石という大名クラスの所領を与えられた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは西軍の大将格となった三成を支えて奮戦したが、9月15日の関ヶ原本戦で戦死。左近の息子の信勝も本戦で戦死している[1]。
なお、左近は関ヶ原本戦で生き延びた、と言われているが、慶長5年(1600年)9月17日付の松平家乗宛石川康通・彦坂元正連署書状において、左近の名前が討ち取られた大将のリストに載っていることから、戦死したのは事実と考えられる[2]。
美濃島氏[編集]
美濃島氏は美濃国厚見郡島村(現在の岐阜県岐阜市)を発祥とする。元の姓が織田氏だったというので、織田信長の同族なのかもしれない。島一正の時に島に居住して島と改姓したという。孫の三安は徳川家康に仕え、美濃国内で1000石の所領を与えられて旗本となるが、明和5年(1768年)に断絶した[1]。
藤原流島氏[編集]
藤原氏の末裔を称した島氏がいたとされ、島左近とは別の島氏と考えられる。島元成の時に豊臣秀次に仕えて尾張国熱田の町奉行に抜擢され、その後に家康に仕えて近江国で900石を与えられて代官、並びに旗本となった[1]。
現在の島氏[編集]
現在では島姓は各地に存在し、特に富山県と福岡県などに多く見られる姓である[1]。