小山田昌成
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小山田 昌成(おやまだ まさしげ、? - 天正10年3月6日[1](1582年3月29日))は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。仮名は藤四郎[1]。官途は管右衛門尉[1]。受領名は備中守[1]。
生涯[編集]
父は甲斐武田氏の譜代家老で信濃内山城代であった小山田虎満で嫡子[1]。弟に昌貞。武田信玄に仕え、父と共に永禄年間に上野松井田城に在城した[1]。天正期になると父から独立して独自の行動をとっている[1]。天正7年(1579年)に父が死去すると家督を継ぎ、天正9年(1581年)に信濃高遠城に在城し、同城主である仁科盛信の相備衆となる[1]。天正10年(1582年)3月、織田信長の武田征伐で戦死した[1]。