安藤馨 (企業家)

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安藤 馨(あんどう かおる、大正3年(1914年5月11日 - 平成9年(1997年11月20日)は、企業家である。日本における汎用計算機ビジネスを確立し、日本コンピューター業界のパイオニアと言われる。母はバイオリニスト安藤幸叔母幸田延は日本の洋楽黎明期を作った第一人者であり作曲家ピアニスト叔父幸田露伴

経歴[編集]

人物 [編集]

  • 最初の東京オリンピックをコンピュータ・システムで管理しようと考えていた日本オリンピック委員会(JOC)は、日本レミントン・ユニバック(現・日本ユニシス)に打診した。その時、同社は労働省・職業安定所のオンラインシステムにかかり切りであった。そこで日本IBMが候補となった。日本IBMから米本社に相談すると、「ユニバック以外では無理なので、断るように」という返事がきた。これを聞いた米本社社長トーマス・ワトソン・ジュニアは「いつからIBM社は“挑戦”を忘れたか」と激怒し、受注が決まった。東京オリンピックの成績集計システムの開発が始まったのは1963年である。262人の開発チームを率いるのは、後年に富士通に移りプログラマ育成に尽力した安藤馨であった。統括者の安藤の「こういう仕事を専門にする技術者を何と呼べばいいか」という質問から「システムエンジニア」という用語が考案された。
  • 早い段階で情報リテラシーやクロスカルチャーの重要性を世に訴えた[1]

受賞[編集]

  1. 1987年、情報処理学会功績賞受賞。
  2. 1989年、情報処理学会名誉会員。

参考文献・注釈[編集]

  1. 山本卓真「名誉会員 安藤薫氏を偲ぶ」情報処理,Vol39,No2