大番
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大番(おおばん)とは、江戸幕府の職制の1つである。同様の役職は諸藩にも存在した。
概要[編集]
平時においては、江戸城の警備、および京都二条城や摂津国大坂城の警備などを職務とした。戦時においては、軍勢の先鋒を務める精鋭として働くことを職務とした[1]。
天正14年(1586年)、2年前の小牧・長久手の戦いで引き分けた徳川家康であったが、その後の豊臣秀吉による外圧、並びに秀吉の生母・大政所の人質提出などにより、遂に秀吉に臣従することになり、上洛することになった。この際に家臣の菅沼定吉、松平康吉、渡辺重綱らが大番に任命されたのが起源といわれている[1]。
この職は大御番(おおごばん)ともいわれ、老中支配で、旗本の中から任用された。家柄や人物の優れた者が選ばれることが多かったという。大番のリーダーを「大番頭(おおばんがしら)」といい、役高は5000石であった[1]。
この職制が完全に固まったのは徳川家光の時代である寛永年間(1624年から1644年)であり、12組が定数となった。なお、大番頭は1名、その下の与力が10騎、同じくその下の大番組頭が4名、与力の下の同心が20名、大番組頭の下の大番衆が50人の定員となっていた[1]。