力士と乗り物
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力士と乗り物 (りきしとのりもの)は、大相撲力士と乗り物についての関連を記載する。
鉄道[編集]
- 大正時代、地方巡業に出た関取が近江鉄道の客車に乗れず、貨車に乗せられた。
- 隆の里は青森県からゆうづる (列車)に乗った際、ナロネ21の下段に乗った。
- 日本国有鉄道名古屋鉄道管理局には最後まで相撲列車に使用するためのスロ54(スロフ62?)が残っていた。
- 東北新幹線開業前の東北本線特急「はつかり」では食堂車のビールを買い占めてしまい、それを他の乗客に振る舞う人物がいた。
- 地方場所や地方巡業で新幹線に乗るとき、力士は鉄道駅で大量の駅弁を買い込む。それでも足りずに車内販売ではアイスクリームを買い込む。座席のリクライニングレバーに太ももが当たり、意図しないでリクライニングしてしまうことがある。どうしようかと困っているとリクライニングレバーにペットボトルの蓋を被せればいいと思いついた。
相撲列車[編集]
2000年8月15日火曜日、弘前駅1837発名寄駅1308着の相撲列車が運転された。14系座席車5両と24系寝台車5両の10両編成である。営業キロ697km、所要時間18時間38分である。途中函館駅と滝川駅で運転停車するものの、扉が開かないために、力士らは飲食物を大量に買い込む。
飛行機[編集]
海外巡業で乗るとき、必ず二組に分かれて乗る。これは戦前の満州巡業の際、帰りに乗る予定だった船が沈没し、それからは遭難することがあっても力士が全滅しないよう考えている。また、乗る前に航空会社と綿密な打ち合わせをする。力士が均等に乗らないと飛行機がバランスを崩してしまうからである。また、シートベルトの長さが足りないときは延長ベルトを用いる。
オープンカー[編集]
幕内力士が優勝したときの凱旋パレードに使うオープンカーは力道山が当時の優勝力士に貸したことから始まる。2024年1月13日にトヨタ自動車のセンチュリーの白色のオープンカーがトヨタ自動車から日本相撲協会に寄贈された。このオープンカーは力士の体重に耐えられるようサスペンションを頑丈にした特注品である。元横綱白鵬とトヨタ自動車の会長が知り合いだったことから1年間かけて設計、開発した。これまではクラウンのオープンカーを使用していた。