依田康信
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依田 康信(よだ やすのぶ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。後北条氏の家臣[1]。官途は大膳亮。受領名は下総守[1]。子に大膳亮。
来歴[編集]
後北条家に仕え、評定衆と御馬廻衆寄親を務めた[1]。諱の「康」は北条氏康からの偏諱の可能性がある。
永禄10年(1567年)12月に朱印状奏者として見えるのが史料上の初見である。ただ、氏康や氏政ではなく、氏邦の朱印状奏者としてのため、当初は氏邦に仕えていた陪臣だったようである。元亀3年(1572年)5月までに氏政の側近に昇格している[1]。
天正5年(1577年)2月に評定衆に列し、以後は主要な署判者の一人となっている。天正10年(1582年)には寄親の一人となっている[1]。
天正16年(1588年)7月を最後に史料上から康信は確認することができず、天正18年(1590年)の小田原征伐では嫡子の大膳亮が家督を継承して参加していることから、少なくとも小田原征伐前までには死去していたものと考えられる[2]。