民主党 (日本 1996-1998)

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民主党(みんしゅとう)は、1996年に結成された政党。1998年に同名の新たな政党に発展的に解消した。法規上は同一政党であるが、前者は旧民主党、後者は新民主党とも呼ばれる。

概要[編集]

1996年9月に社民党(35名)、新党さきがけ(15名)、市民リーグ(5名)、新進党鳩山邦夫)、無所属(佐藤謙一郎)の衆議院議員52名、参議院議員5名が参加して結成した。代表の鳩山由紀夫菅直人は民主党結成に際して、自社さ連立政権の与党だった社民党とさきがけ全体の合流を認めず、さきがけ前代表の武村正義、社民党党首の村山富市土井たか子の入党を拒否したため、「排除の論理」が話題になった。綱領的な文書「民主党の基本理念」では、「中央集権・垂直統合型の「国家中心社会」システム」から「多極分散・水平協働型の「市民中心社会」」への転換、「地方分権・地域主権国家」の実現、「憲法の平和的理念と事実にもとづいた歴史認識を基本」にした外交、「友愛の精神」などを掲げた[1]

衆議院では新進党に次ぐ野党第2党だったが、1997年12月に新進党が6党(自由党新党友愛新党平和国民の声黎明クラブ改革クラブ)に分解したため、野党第1党となった。1998年1月に新党友愛、国民の声、太陽党フロムファイブ民主改革連合の5党と組んで院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)を結成した[2]。1998年4月に民政党、新党友愛、民主改革連合と合流して同名の新たな政党を結成した。衆議院議員93名、参議院議員38名が参加。

1996年に民主党が結成されると、連合は民主党・新進党を「協力・協調関係」と位置付け、社民党を「友好関係」に格下げした[3]。民主党は特に連合内の旧総評系労組から支持を受けたが、新進党の解散、新民主党の結成後は旧同盟系労組からも支持を受けた[4]

脚注[編集]

  1. 民主党の基本理念 高野孟の極私的情報曼荼羅&あーかいぶ
  2. 直後に太陽党、国民の声、フロム・ファイブの3党が合流して民政党を結成した。
  3. 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第67集(1997年版)』旬報社、1997年
  4. 中北浩爾「比較労働運動研究(11)連合と政治」『生活経済政策』No.137、2008年6月

外部リンク[編集]