今村稔

出典: 謎の百科事典もどき『エンペディア(Enpedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

今村 稔(いまむら みのる、1935年[1] - )は、社会主義協会(坂牛協会)元代表[2]

人物[編集]

60年安保闘争の際は、東京で全学連中執の1人として学生運動をしていた[2]。旧第四インター小島昌光によると、安保闘争後の革共同(JR)関東の中心は東京学芸大学で、東京学芸大学のJRの中心人物は今村だったという。今村は優秀なオルガナイザーであったが、社会主義協会派に加入戦術する中でJRから離れ、後に社会主義協会の中心メンバーになったという[3]

1973年3月時点で社会主義協会の組織部所属の全国オルグ[4]。1980年まで日本社会党灘総支部の書記長を務めていた[5]

1998年2月に佐藤保代表が召集した社会主義協会第31回総会に参加せず、同年3月に新社会党系の社会主義協会(いわゆる「再建協会」「坂牛協会」)の結成に参加した[6]坂牛哲郎上野建一両代表が引退した後、津和崇とともに代表を引き継いだ[7][8]。2019年に代表を引退した。

2014年1月時点で労働大学副学長[9]。2017年4月時点で労働大学近畿支局世話人代表[10]。2020年6月時点で「憲法を生かす会・灘」共同代表[2]

著書[編集]

単著[編集]

  • 『現代と青年労働者』(労働大学[労大ハンドブック]、1969年)
  • 『『共産党宣言』に学ぶ』(社会主義協会、2001年)
  • 『ロシア社会主義革命史』(社会主義協会、2009年)

共著[編集]

  • 山川均向坂逸郎外伝――労農派1925~1985(下)』(石河康国上野建一共著、社会主義協会、2004年)
  • 『あのころ あのひと』(上野建一共著、社会主義協会、2020年)

分担執筆等[編集]

  • 阿部行蔵、細野武男編『全学連――怒る若者』(緑風社、1960年)
  • 向坂逸郎編著『続 日本共産党論』(社会主義協会、1974年)
  • 佐藤保編『続大系国家独占資本主義 6 日本革命と統一戦線』(河出書房新社、1978年)
  • 篠藤光行編著『日本の野党』(十月社、1982年)
  • 社会主義協会編『日本労働運動への提言』(社会主義協会出版局、1982年)
  • 灰原茂雄編著『労働者支配と職場闘争』(社会主義協会出版局、1983年)
  • 岩井章編著『社会党と総評』(十月社、1988年)
  • 西井龍生編『大系現代の世界と日本 第2巻 現代日本の政治・国家』(えるむ書房、1991年)
  • 松永裕方編著『連合の五年と労働運動』(社会主義協会出版局、1994年)

出典[編集]

  1. 今村稔『『共産党宣言』に学ぶ』社会主義協会、2001年
  2. a b c 寄稿 60年安保闘争から60年 60年安保闘争を学ぶことは労働者の人間的な生命力を再生させること 今村 稔 新社会党ひょうご、2020年6月30日
  3. 小島昌光「寺岡総括を叩き台に、討論よ起これ!」、江藤正修編『資料集 戦後左翼はなぜ解体したのか』同時代社、2006年、111-112頁
  4. 森裕城『日本社会党の研究――路線転換の政治過程』木鐸社、2001年
  5. 私の履歴書 吉田俊弘(元兵庫県議)のホームページ
  6. 社会主義協会第三一回再建総会宣言(附:社会主義協会再建運動に合流しよう) 労働者運動資料室
  7. 書籍あのころあのひと 社会主義協会
  8. 細川正証言 戦後社会党・総評史 もう一つの日本社会党史――党中央本部書記局員としてマルクス・レーニン主義の党を追求 細川 正氏に聞くPDF」『大原社会問題研究所雑誌』716号、2018年6月
  9. 労働大学とは 労働大学
  10. 新春旗開きと講演会 労働大学、2017年4月10日