上野建一
ナビゲーションに移動
検索に移動
上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は、政治家。元・日本社会党衆議院議員(2期)、新社会党書記長、社会主義協会(坂牛協会)代表。
経歴・人物[編集]
山形県鶴岡市生まれ。明治大学中退。千葉県議会議員を経て、1983年12月の第37回衆議院議員総選挙に千葉1区から社会党公認で立候補し初当選。1986年7月の第38回総選挙で落選したが、1990年2月の第39回総選挙で返り咲き当選。党内では社会主義協会派に所属。1992年3月7日にリゾート開発会社「真理谷」から上野の口座に200万円が振り込まれていたことが判明し、3月13日に議員辞職した[1]。
1996年1月新社会党の結成に参加。同年10月の第41回総選挙に比例代表南関東ブロックから新社会党公認で立候補するも落選した。新社会党の党建設委員長[2]、書記長[3]、千葉県本部委員長(2010年退任)[4][5]、顧問を歴任した[6][7]。
1998年2月に佐藤保代表が召集した社会主義協会第31回総会に参加せず、同年3月に新社会党系の社会主義協会の結成に参加した。坂牛哲郎・上野建一が代表となったため、「坂牛協会」「再建協会」とも呼ばれた[8][9]。2011年5月に坂牛哲郎とともに社会主義協会の代表を引退した[10]。今村稔・津和崇が代表を引き継いだ[9][11]。
日朝友好千葉県の会共同代表[12]。藤沢周平と交友があった[13]。
著書[編集]
- 『中央集権に抗して――県政とともに十五年』(建政会出版部、1978年)
- 『自治体革新への展望』(社会主義協会出版局、1990年)
- 『政界再編後を読む――護憲の旗を掲げて』(社会通信社、1995年)
- 『山川均・向坂逸郎外伝――労農派1925~1985(上)』(石河康国共著、社会主義協会、2002年)
- 『山川均・向坂逸郎外伝――労農派1925~1985(下)』(石河康国、今村稔共著、社会主義協会、2004年)
- 『あのころ あのひと』(今村稔共著、社会主義協会、2020年)
出典[編集]
- ↑ (社)共同通信社『共同通信社年表』(1996.06) 渋沢社史データベース
- ↑ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第69集(1999年版)』旬報社、1999年
- ↑ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第74集(2004年版)』旬報社、2004年
- ↑ 新社会ちば第13号(PDF)新社会党千葉県本部、2000年9月
- ↑ ニュース 新社会党千葉のホームページ
- ↑ 原稿2本、議会質問の準備、新社会党近畿ブロック会議 平和とくらし #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日、2010年2月26日
- ↑ 2016新春講演会・旗開き 来賓あいさつ 労働新聞2016年1月25日号・2~3面
- ↑ 社会主義協会第三一回再建総会宣言(附:社会主義協会再建運動に合流しよう) 労働者運動資料室
- ↑ a b 細川正「証言 戦後社会党・総評史 もう一つの日本社会党史――党中央本部書記局員としてマルクス・レーニン主義の党を追求 細川 正氏に聞く(PDF)」『大原社会問題研究所雑誌』716号、2018年6月
- ↑ 石河康国「立憲民主党『基本政策』と「新生社民党」について」月刊『科学的社会主義』No.278 2021年6月号
- ↑ 書籍あのころあのひと 社会主義協会
- ↑ 〈広島無償化裁判〉“国の屁理屈を肯定”/日朝友好千葉県の会と千葉ハッキョの会が抗議声明 朝鮮新報、2020年10月23日
- ↑ 佐高信、高橋敏夫『藤沢周平と山本周五郎――時代小説大論議』毎日新聞社、2004年
関連文献[編集]
- 五十嵐仁、木下真志、法政大学大原社会問題研究所編『日本社会党・総評の軌跡と内実――20人のオーラル・ヒストリー』(旬報社[法政大学大原社会問題研究所叢書]、2019年)