細川正

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細川 正(ほそかわ ただし、1944年11月 - )は、元日本社会党中央本部書記局員[1]社会主義協会(細川協会)代表。

経歴[編集]

静岡県田方郡伊豆長岡町(現・伊豆の国市)生まれ。1967年法政大学経済学部卒、久保書店に入社。1969年労組結成で解雇され、社会党衆院議員になる前の山花貞夫弁護士の指導を受けながら解雇撤回闘争を闘う。1970年会社側と和解して退社。争議の間、向坂逸郎邸で開かれていた『資本論』学習会に参加。1971年1月社青同に加盟。向坂に他の出版社への就職を世話してもらおうとしていたが、社会党中央本部の機関紙局へ行けと言われ、同年3月に社会党に入党。同年6月に社会党中央本部書記局の試験に受かり、機関紙局経営部経理に。その直後に社会主義協会に入会。1975年3月『月刊社会党』編集部に移り、1988年4月まで14年間在籍。1986年社会主義協会運営委員。1987年6月社会党の基本路線の見直しに反対する党建協(日本社会党建設研究全国連絡協議会)の結成に参加。1988年社会新報編集部・副部長。1996年社会党中央本部を退局、新社会党の結成に参加。機関紙局長、財政局長、副書記長を歴任した[1]。1998年7月の第18回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区から新社会党公認で立候補したが落選した。

1998年2月に佐藤保代表が召集した社会主義協会第31回総会に参加せず、同年3月に新社会党系の社会主義協会(いわゆる「再建協会」「坂牛協会」)の結成に参加した[2]。その後、2010年7月の第22回参院選における新社会党・原和美副委員長の社民党からの立候補、規約違反の二重党籍をめぐり、協会の選挙推進はマルクス・レーニン主義から社会民主主義への転向、政党への介入は理論研究団体から派閥へと協会の性格を変えるものだと強く批判。最終的に細川ら批判者たちは協会を退会し、2014年12月に別の社会主義協会を「再建」した[1]。代表は細川正、事務局長は柿沼久夫[3]。機関誌『研究資料』を隔月で発行[1]。公式ブログによれば、2012年5月に科学的社会主義研究会第1回総会(社会主義協会第45回総会)を開催し、協会再建をめざすことを確認[4]。2014年12月7日に社会主義協会第47回総会(科学的社会主義研究会第3回総会)を開催し、科学的社会主義研究会の名称を変更して社会主義協会を再建した[3]

2013年と2015年[5]、2021年[6]に新社会党中央執行委員長選挙に立候補したが落選した。

著書[編集]

  • 共著『再びファシズムか』(飛鳥田一雄編、十月社、1986年)
  • パンフレット『社会党がなくなる?――並立制は憲法と社会党つぶし』(党建協、1987年)[1]
  • 共著『社会党と総評』(岩井章編著、十月社、1988年)
  • 共著『現代日本の政治・国家』(西井龍生編、えるむ書房、1991年)
  • インタビュー『日本社会党・総評の軌跡と内実――20人のオーラル・ヒストリー』(五十嵐仁、木下真志、法政大学大原社会問題研究所編、旬報社[法政大学大原社会問題研究所叢書]、2019年)

出典[編集]

外部リンク[編集]