ユーゴスラビア
ユーゴスラビアは、かつてバルカン半島に存在した国家である。
概要[編集]
バルカン半島西岸にあった国家である。第一次世界大戦後にオーストリア・ハンガリー帝国を解体して南スラヴ族の立憲君主国として成立した。第二次世界大戦ではドイツ軍の侵攻を受けたが、チトーを中心としたパルチザン活動によって独立を回復した。戦後は王政を廃止し、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国となったが、ソビエト連邦の深い介入を拒み、第三勢力と呼ばれる非同盟主義を選び、独自の外交を行った。しかし、冷戦終結後は民族対立が始まり、ユーゴ紛争の末、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、コソボ、マケドニアの7か国に分裂した。なお、それぞれ別の民族の国といっても、コソボを除く6ヶ国の言語はお互い通じるなど[1]、それなりに同質性も高い。
後継6ヶ国[編集]
スロベニア[編集]
元ドイツ・オーストリア領。6ヶ国で最も経済的に豊かで、EUにも加盟、シェンゲン協定加入国なので隣国イタリア・オーストリア・ハンガリーとはパスポート無しで行き来できる。
クロアチア[編集]
元ハンガリー領だが、沿岸部は元イタリア領だったりオーストリア領だったりする。沿岸部のドゥブロヴニクが、世界的に観光地として有名。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナ[編集]
元トルコ領で、イスラム教徒が多い。山岳地帯の多い国で、特に内陸部の住民は世界で一番背が高いとされている。
セルビア[編集]
元トルコ領で、キリスト教徒が多い。旧6ヶ国で最も大きい国。
モンテネグロ[編集]
元トルコ領だが、トルコ領時代から独自の体制で運営してきた地域。海に面した小さな国である。
マケドニア[編集]
元トルコ領で、ブルガリアの一部として扱われてきたが、色々あってユーゴスラビアになった。なお、ギリシャの北部もマケドニアと呼ばれている。
コソボ[編集]
元トルコ領で、アルバニア系住民が多く住む地域。
歴史[編集]
近代まで、スロベニアはオーストリアに、クロアチアはハンガリーに、他はトルコに併合されていた。
1876年、セルビアとモンテネグロがトルコから独立した。1908年には、オーストリア・ハンガリーが、トルコ領のボスニア・ヘルツェゴビナを併合した。1913年のバルカン戦争で、セルビアがトルコ領のコソボとマケドニアを併合した。
第一次世界大戦後の1918年、セルビア、モンテネグロ、およびオーストリア・ハンガリーのスラヴ人地域(ボスニア、クロアチア、スロベニア)が合併し、ユーゴスラヴィア王国となった。第二次世界大戦でドイツ軍に占領され、チトーを中心としたパルチザン活動によって独立を回復した。王政の廃止によって社会主義共和国が成立したが、冷戦終結後の1991年にスロベニアとクロアチアが、1992年にマケドニアとボスニア・ヘルツェゴビナが独立。2006年にセルビアとモンテネグロが分離した後、2008年にコソボが独立した。
ユーゴスラビアのさいころ[編集]
かつてのユーゴスラビアは、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」という言い方をされてきた。
7つの国境 - イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニアの7ヶ国に接している。
6つの共和国 - スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアの6共和国からなる連邦国家であった。コソボはセルビア共和国の自治州という扱いであった。
5つの民族 - スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人の5民族。ボスニア人とアルバニア人(コソボの主要民族)は入っていない。
4つの言語 - スロベニア語、クロアチア語、セルビア語、マケドニア語。これらは別言語とされているが、実際は方言程度の違いでしかない。特にクロアチア語とセルビア語は近く、大阪と東京程度の方言差と言われている。なおボスニア語もあるが、クロアチア語あるいはセルビア語の方言扱いであった。
3つの宗教 - キリスト教(カトリック)、キリスト教(東方正教)、イスラム教。スロベニア・クロアチアがカトリック圏、セルビア・モンテネグロ・マケドニアが正教圏で、ボスニアはイスラム教が主流。
2つの文字 - ラテン文字とキリル文字。前者はカトリック圏とボスニアで、後者は東方正教圏で使われている。
1つの国家 - かつてはそうであった。
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ↑ スロベニア語のみ他と通じにくいとされているが、それでも日本語のきつい方言レベルである。