さらぎ徳二
さらぎ徳二、仏徳二(さらぎ とくじ、1929年6月25日[1] - 2003年4月13日)は、新左翼活動家。本名・右田昌人。第2次ブント(共産主義者同盟)の3代目議長、共産主義者同盟蜂起派の議長を務めた。
経歴[編集]
台湾・高雄生まれ。父親は開業医。1945年陸軍二等兵、少年兵として徴兵。敗戦後大分県中津市に引き揚げ、日本青年共産同盟(民青の前身)を経て、日本共産党に入党。共産党が分裂した「五〇年問題」では所感派を選択、非公然活動に従事。1950年10月税務署での抗議活動で逮捕・起訴。1951年春出獄、同年大分県北部地区委員長。1954年肺結核を発病、国立中野療養所で左肺切除。1955年7月の六全協後に共産党を離党。1956年産業労働調査会に勤務。60年安保闘争を共産主義者同盟(第一次ブント)と共に闘う。1962年千葉正健の社会主義青年運動(SM)に加入、第二次ブント再建に活躍。1964年共産主義者同盟(ML派・SM・電通労研)政治局員。1965年6月共産主義者同盟統一委員会の結成に参加、1966年5月の第2回大会で政治局員。同年9月の共産主義者同盟(第二次ブント)再建第6回大会で政治局員。1968年12月の第8回大会、1969年8月の第9回大会で議長に選出。
1969年4月27日に本多延嘉(革共同書記長)、4月28日に藤原慶久(革共同政治局員、東京地区反戦世話人)が4・28沖縄闘争に関連して破壊活動防止法第40条違反で逮捕されたため、地下に潜行。1969年7月6日、全都協議会開催時[2]に明治大学和泉校舎で塩見孝也らブント関西派(後の赤軍派)に襲撃され、重傷のまま放置されたところに機動隊が介入[3]。7月7日に4・28沖縄闘争に関連して破防法第40条違反で逮捕された[4][5]。2年近く勾留され、1971年3月20日に保釈金70万円で東京拘置所を出所した[6]。1969年の4・28沖縄闘争では、本多、藤原、さらぎの他、7月に逮捕された久保井拓三(社学同統一派全国委員、反帝全学連副委員長)、1970年2月に逮捕された青木忠(中核派全学連書記長)の計5人が破防法第40条違反で逮捕・起訴された[7][8]。
1970年6月以降戦旗派内のフラクション「鉄の戦線派」(通称さらぎ派)を指導。同年12月戦旗派を除名され、烽火派、神奈川左派と三派連合(12・18ブント)を組むが、1971年に分裂。1972年共産主義者同盟蜂起派(通称さらぎ派)を結成し、議長として党を指導。1974年破防法公判闘争の途中で地下に潜行、以後20年にわたり、非公然活動を地下から指導。1994年1月肝硬変の悪化により倒れ、逮捕・収監、治療保釈後も破防法闘争を継続。1998年蜂起派を離党、その後も第三次ブント再建を目指して活動。2002年6月21日、最高裁が破防法違反事件の上告審判決で上告を棄却し、懲役2年執行猶予3年の有罪が確定[9]。
2003年4月13日死去、73歳。2007年から『さらぎ徳二著作集』(全7巻を予定)が刊行中[10]。刊行委員会の代表は蔵田計成(2020年死去)、編集主幹は千葉正健(2011年死去)[11][12]。
著書[編集]
- 『世界暴力革命論』(リベラシオン社、1969年9月)
- 『先行性ファシズム論』(戦旗社、発売:リベラシオン社、1969年)
- 『日本ファシズム論』(蜂起社、1974年5月)[1]
- 『宇野経済学体系の批判』(季節社、1978年10月)
- 『天皇論――天皇と日本の国家権力』(蜂起社、1980年11月)
- 『社会主義と過渡期国家――マルクスの原理、レーニンの実践、スターリンの歪曲』(戦旗社、1982年6月)[1]
- 『理説の仏教』(縁陽社[13]、1998年[14])
- 『日本資本主義の原像――現状分析の方法を求める日本近代史論』(世界書院、1999年12月)
- 『我かく闘えり――破防法闘争三二年』(著・編、情況出版、2001年11月)
- 『革命ロシアの挫折と崩壊の根因を問う』(編著、さらぎ徳二、いいだもも、岩田弘、望月彰、生田あい、新田滋、府川充男執筆、築地電子活版、2002年6月)[15]
- 『さらぎ徳二著作集 第一巻 ソ同盟と人間疎外/世界暴力革命論』(さらぎ徳二著作集刊行委員会編、緑陽社、発売:情況出版、2007年11月)
- 『さらぎ徳二著作集 第三巻 天皇論/過渡期世界の転換と民族問題』(さらぎ徳二著作集刊行委員会編、緑陽社、発売:情況出版、2008年4月)
- 『さらぎ徳二著作集 第五巻 過渡期社会の実践理論(署名論文集)』(さらぎ徳二著作集刊行委員会編、玉海社、2015年10月)[16]
備考[編集]
- 原始仏教に関する論文『理説の仏教』は関係者のみに配布された[17]。あとがきによると「この論文は、親しい友人の娘さんが念願の大学に合格した折りに「合格祝いに何か論文を一本」と乞われ、執筆したものです」とのこと[14]。
- 2007年の若松孝二監督の映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』では佐野史郎がさらぎ徳二の役を演じた。
出典[編集]
- ↑ a b c 共産主義者同盟蜂起派・蜂起左派 リベラシオン社
- ↑ さらぎ徳二略歴 さらぎ徳二著作集刊行委員会official website
- ↑ 三一書房編集部編『資料戦後学生運動 別巻』三一書房、1970年、255頁
- ↑ 「桜田門誌」『自警』第51巻9号、1969年9月
- ↑ 「日誌・内外の動き」『月刊社会党』第150号、1969年9月
- ↑ 「番外地'71年」『現代の眼』1971年5月号
- ↑ 葉山岳夫「東大闘争分離公判への告発」『現代の眼』1970年6月号
- ↑ 長田光義「「七〇年闘争」警備実施を顧りみて」警察大学校編『警察学論集』第23巻第9号、立花書房、1970年9月
- ↑ 最近の内外情勢 2002年6月 公安調査庁
- ↑ 巻別構成 さらぎ徳二著作集刊行委員会official website(2007年10月9日)
- ↑ 発刊アピール さらぎ徳二著作集刊行委員会official website(2007年9月12日)
- ↑ 千葉正健さんを偲ぶ会を行います ちきゅう座(2011年9月20日)
- ↑ さらぎ徳二『日本資本主義の原像――現状分析の方法を求める日本近代史論』世界書院、1999年
- ↑ a b 理説の仏教 特集 さらぎ徳二
- ↑ 府川充男「「六八年革命」を遶る断章」 前田年昭のホームページ
- ↑ 【模索舎store】 ◆さらぎ徳二著作集 第五巻 過渡期社会の実践理論(署名論文集) 模索舎(2015年11月17日)
- ↑ さらぎ徳二著作集刊行委員会official website
参考文献[編集]
- さらぎ徳二「革命に生きる」『情況』1997年7月号・10月号・1998年3月号・7月号
- 高沢皓司「さらぎ徳二」、現代革命運動事典編集委員会編『現代革命運動事典』流動出版、1981年
- 共産主義者同盟蜂起派・蜂起左派 リベラシオン社
- さらぎ徳二略歴 さらぎ徳二著作集刊行委員会official website
- さらぎ徳二著作集 第1巻 / さらぎ 徳二【著】/さらぎ徳二著作集刊行委員会【編】 紀伊國屋書店ウェブストア