TBSテレビのアナウンサー一覧
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TBSテレビのアナウンサー一覧(ティービーエステレビのアナウンサーいちらん)は、ラジオ東京、東京放送、東京放送ホールディングス、TBSテレビの社員でアナウンサーを務めた者を一覧にしたものである[1][2]。
男性アナウンサー[編集]
- 上松康郎(NHKアナウンサーを経て[注釈 1]1951年入社、1952年退職)[4]
- 小高芳雄(1951年入社、1970年定年退職) - 1993年8月に死去[4]。
- 平野貞一(NHKアナウンサーを経て[注釈 2]1951年入社、1970年定年退職)[4]
- 安田一雄(NHKアナウンサーを経て[注釈 3]1951年入社、1975年定年退職) - 1999年3月に死去[4]。
- 吉村光夫(NHK鹿児島放送局アナウンサーを経て[注釈 4]1951年入社、1981年定年退職)[4] - 2011年に死去[8]。
- 渡辺仁三(1951年入社、1969年定年退職) - 1987年12月に死去[4]。
- 芥川隆行(1951年入社、1959年退職) - 妻は本田節子。フリーアナウンサー、ナレーター。ナレーターとしては『ナショナル劇場』(水戸黄門や大岡越前など)を担当。1990年10月に死去[9][10]。
- 池谷三郎(1951年入社、1978年定年退職)[9] - 2002年に死去[11]。
- 市原信義(1951年入社、1984年定年退職) - 1992年3月に死去[9]。
- 稲川英雄(1951年入社、1980年定年退職)[9] - 2004年に死去[12]。
- 財前和夫(1951年入社、1984年定年退職)[13] - 後にプロデューサーを歴任。妻は松浦園子[14]。
- 沢弘三(1951年入社、1983年定年退職)[9]
- 高野啓二(1951年入社、1978年8月放送業務局視聴者センター在職中に死去)[13]
- 永井資久(1951年入社、1981年定年退職) - 2000年7月に死去[13]。
- 若林漸(1951年入社、1961年退職)[13]
- 近江正俊(NHKアナウンサーを経て[注釈 5]1952年入社、1976年退職) - 国際交流基金派遣日本語教師としてインドネシア・アイルランガ大学派遣日本語講師を務めた。1984年10月に死去[16]。
- 小坂秀二(NHKアナウンサーを経て[注釈 6]1952年入社、1973年定年退職)[16] - 妻は高橋昭夸[18]。2003年に死去[19]。
- 吉川久夫(1952年入社。報道部を経て1953年からアナウンサー。1986年定年退職) - 2001年7月に死去[20]。
- 坂本荘(NHKアナウンサーを経て[注釈 6]1952年入社、1968年退職) - 1980年11月に死去[16]。
- 中村要輔(NHKアナウンサーを経て[注釈 6]1952年入社、1974年定年退職) - 1978年1月に死去[16]。
- 榎本勝起(1952年入社。編成局考査部→制作一課→調査部を経て1954年4月からアナウンサー。1984年定年退職)[21] - 放送ジャーナリスト[22]。2021年に死去[23]。
- 大塚矩男(NHKアナウンサーを経て[注釈 7]1952年入社、1975年定年退職) - 1997年12月に死去[25]。
- 吉田謙司(NHKアナウンサーを経て[注釈 7]1952年入社、1975年定年退職)[25]
- 鶴田全夫(NHKアナウンサーを経て[注釈 5]1953年入社、1980年定年退職) - 1992年2月に死去[25]。
- 落合博一(1953年入社、1986年定年退職)[25]
- 杉山真太郎(1953年入社、1985年定年退職) - 緑山スタジオ・シティに転籍。『ナショナル劇場』2代目ナレーター。1998年9月に死去[20]。
- 鈴木千秋(1953年入社、1961年退職)[20]
- 薗田潤(1953年入社、1985年定年退職) - 1994年11月に死去[20]。
- 高野昭平※(1953年入社、1985年定年退職)[25] - アナウンサープロダクション『メディア・スタッフ』取締役相談役[26]。
- 竹山恭二(1953年入社、1986年定年退職)[20] - 映像作家・文筆家。妻は楢木昭子。2008年に死去[27][28]。
- 中川恭一(1953年入社、1985年定年退職)[20]
- 真山照政(1953年入社、1956年退職)[20]
- 渡辺謙太郎(1953年入社、1985年定年退職) - アナウンサープロダクション『メディア・スタッフ』へ設立と同時に出向し、代表取締役などを務めた。2006年に死去[20][29]。
- 小竹隆夫(1954年入社、1992年定年退職)[21]
- 山林正明(1954年入社、1986年定年退職)[21]
- 鈴木治彦(1955年入社、1984年定年退職)[30]
- 田畑国夫(1955年入社、1985年定年退職)[30]
- 増子智英(1955年入社、1992年定年退職)[30]
- 松野道男(1955年入社、1983年定年退職)[30]
- 柳広武(1955年入社、1981年定年退職) - 1990年6月に死去[30]。
- 青柳純一(1957年入社、1993年定年退職)[31]
- 岡部達(1957年入社、1994年定年退職)[31] - 2022年に死去[32]。
- 金坂光春(1957年入社、1986年11月退職) - 1986年11月退職直後に死去[33]。
- 仁村秀雄(1957年入社、1992年定年退職)[33]
- 山本文郎(1957年入社、1994年9月定年3ヶ月前に退職)[33] - 2014年に死去[34]。
- 池田孝一郎(1959年入社、1995年定年退職)[35]
- 石井智(1959年入社、1995年7月定年退職) - 1995年9月に死去[35]。
- 川野昌宏(1959年入社、1994年4月報道局次長[36]在職中に死去[35])
- 里見恭夫(1959年入社、1993年定年退職)[35]
- 新堀俊明(1959年入社、1992年退職)[37] - 日本大学芸術学部放送学科非常勤講師(以前は教授)。在職中の1987年 - 1997年まで『サンデーモーニング』コメンテーター。2018年に死去[38][39][40]。
- 土屋統督(1959年入社、1995年定年退職)[41]
- 藤田和弘(1959年入社、1994年定年退職)[41]
- 料治直矢(1959年入社、1995年定年退職)[41] - 在職中の1987年 - 1997年2月まで『JNN報道特集』メインキャスター。1997年7月に死去[41]。
- 山田二郎(NHK佐賀放送局アナウンサーを経て[注釈 8]1960年入社、1990年退職)[43]
- 川戸貞吉(1961年入社、1993年退職)[43] - 演芸評論家。妻は川戸惠子。2019年に死去[44]。
- 田淵威(1961年入社、1997年定年退職)[43]
- 恒田光男(1961年入社、1996年定年退職)[43]
- 新村尚久(1961年入社、1997年定年退職)[43]
- 平山允(1961年入社、1995年定年退職)[45]
- 藤林英雄(1961年入社、1997年定年退職)[45]
- 小泉正昭(1962年入社、1999年定年退職)[46]
- 清水将夫(1962年 - 1999年定年退職)[46]
- 鈴木史朗(1962年入社、1998年定年退職)[46]
- 石川顯(1964年入社、2001年定年退職)[47]
- 大沢悠里(1964年入社、1991年退職)[47]
- 小島康臣(1964年入社、2000年定年退職)[47]
- 平原晋太郎(1964年入社、1993年3月事業局事業部専任部長[48]在職中に死去[49])
- 桝井貞之(1964年入社、1999年定年退職)[49]
- 今村稔(1965年入社)[50]
- 小川哲哉(1965年入社、1972年退職)[50]
- 車尾具昭(1965年入社、2000年定年退職)[50]
- 五味陸仁(1965年入社、2003年定年退職)[51]
- 多田護(1965年入社、2001年定年退職)[51] - 2017年に死去[52]。
- 奈良陽(1965年入社[51]、2002年定年退職) - 2007年に死去[53]。
- 青木靖雄(1967年入社[54]、2003年退職)
- 石森勝之(1967年入社)[54]
- 小口勝彦(1967年入社[54]、2003年退職) - 妻は元フジテレビアナウンサーの岩崎真純[55]。
- 河野通太郎(1967年入社)[54]
- 久米宏(1967年入社、1979年退職)[54]
- 林美雄(1967年入社[54]、2002年在職中に死去[56])
- 宮内鎮雄(1967年入社[57]、2005年定年退職) - 2022年に死去[58]。
- 米沢光規(1967年入社)[57]
- 小島一慶(1968年入社、1990年退職)[59] - フリーアナウンサー、ナレーター。妻は池田園子[60]。2020年に死去[61]。
- 松永邦久(1968年入社[59]、2004年定年退職)
- 石原俊爾(1969年入社、2018年退職)[62]
- 稲生二平(1969年入社、2006年退職)[62]
- 木脇豊(1969年入社)[62]
- 杉崎一雄(1969年入社)[62]
- 田中啓生(1969年入社[62]、2004年退職)
- 田中良紹(1969年入社、1991年退職)[62] - ジャーナリスト[63]。
- 山田修爾(1969年入社、2005年9月定年退職) - 演出家、プロデューサー、芸能事務所『CMA(→キャスト・プラス)』に転籍し常務取締役、代表取締役社長、取締役相談役も務めた。2013年に死去[62][64][65][66][67]。
- 近藤美矩(1972年入社[62]、2003年定年退職)
- 辻村国弘(NHKアナウンサーを経て[注釈 9]1972年入社、2006年退職)[62][69]
- 山口慎弥(NHKアナウンサーを経て[注釈 10]1973年入社)[62]
- 千葉陽一(1974年入社、2011年退職)[71]
- 松下賢次(1975年入社[71]。2013年定年退職)
- 宮澤隆(1975年入社[71]。2012年定年退職)
- 生島博(1976年入社、1989年退職)[71] - フリーアナウンサー、芸能事務所『生島企画室』代表取締役会長。
- 鈴木順(1976年入社[71]、2013年定年退職)
- 高橋進(1976年入社[72]、2016年退職)
- 松宮一彦(1976年入社、1998年退職)[72] - 1999年に死去[73]。
- 中村秀昭(1979年入社、2016年定年退職)[74]
- 林正浩(1979年入社[74]、2016年定年退職[75])
- 柴田秀一(1981年入社[74]、2017年2月解説委員兼務を経て定年7ヶ月前に退職)- TBSラジオのニュースデスク、日本大学法学部新聞学科専任教員[76]。
- 中村尚登(1981年入社[77]、2017年9月定年退職)- TBSラジオのニュースデスク[78]。
- 浦口直樹(1983年入社[77]、2020年定年退職)
- 柄沢晃弘(1984年入社、1991年退職)[77]
- 椎野茂(1984年入社[79]、2019年定年退職[75])
- 日下部正樹(1985年入社)[79]
- 下村健一(1985年入社、1999年退職)[79]
- 岡崎潤司(1986年入社、2022年定年退職)[79]
- 岡田泰典(1986年入社、2022年定年退職)[79]
- 武方直己(1986年入社)[79]
- 戸崎貴広(1986年入社、2022年定年退職)[79]
- 池田裕行(1987年入社、2022年定年退職)[80]
- 清原正博(1988年入社)[80]
- 佐古忠彦(1988年入社)[80]
- 向井政生(1988年入社、2023年在職中に死去)[81][82][83]
- 杉山真喜人(1988年入社、2022年定年退職)[80][84]
- 小林豊(1989年入社)[85]
- 斎藤哲也(1989年入社)[85]
- 原山理一郎(1989年入社)[85][86]
- 岩井健浩(1990年入社)[85]
- 田中宏明(1990年入社、1996年退職)[85]
- 安東弘樹(1991年入社[87]、2018年退職)
- 初田啓介(1993年入社)[87]
- 宮澤祐介(1993年入社、2000年退職)[87]
- 清水大輔(札幌テレビ放送アナウンサーを経て1993年10月入社)[87]
- 升田尚宏(NHKアナウンサーを経て[注釈 11]1994年6月入社、2022年財務戦略局在職中に死去)[87][89]
- 土井敏之(NHK佐賀放送局アナウンサーを経て1996年1月入社)[90]
- 小笠原亘(1996年入社)[90]
- 志賀大士(1996年入社)[90]
- 安住紳一郎(1997年入社)[90]
- 伊藤隆太(1997年入社)[90]
- 駒田健吾(1998年入社)[90]
- 新タ悦男(1998年入社)[90]
- 佐藤文康(1999年入社)[91]
- 有馬隼人(2001年入社[91]、2004年退職)
- 藤森祥平(2001年入社)[91]
- 高野貴裕(2003年入社)
- 赤荻歩(2004年入社)
- 蓮見孝之(2004年入社)
- 伊藤隆佑(2006年入社)
- 井上貴博(2007年入社)
- 杉山真也(2007年入社)
- 山本匠晃(2008年入社)
- 石井大裕(2010年入社)
- 国山ハセン(2013年入社、2022年退職)[92]
- 熊崎風斗(2013年入社)
- 品田亮太(2014年入社)
- 喜入友浩(2017年入社)
- 小林廣輝(2018年入社、2022年退職)[93]
- 渡部峻(2019年入社)
- 斎藤慎太郎(2020年入社)
- 南波雅俊(NHKアナウンサーを経て[注釈 12]2020年10月入社)[75]
- 小沢光葵(2021年入社)
- 高柳光希(2021年入社)
- 古田敬郷(2022年入社)
女性アナウンサー[編集]
- 植村二三子(1951年入社、1955年退職)[4]
- 高橋百合子(1951入社、1953年退職)[9]
- 大野方子(1951入社、1963年退職)[13]
- 高杉恵津子(1951入社、1984年定年退職)[13]
- 玉井和子(1951入社、1961年退職)[13]
- 楢木昭子(現姓:竹山/1951年入社、1961年退職)[13] - 放送史研究者。昭和女子大学名誉教授。夫は竹山恭二[27][28]。
- 本田節子(1951年入社、1983年定年退職)[13] - 夫は芥川隆行[10]。
- 武藤和子(1951年入社、1960年退職)[13] - 夫はTBS元社長の濱口浩三。2010年に死去[94]。
- 岡本昌子(1953年入社、1956年退職)[20]
- 清水春子(1953年入社、1961年退職)[21]
- 高橋昭夸(1953年入社、1955年退職)[21] - 夫は小坂秀二[18]。
- 中島みち(1953年入社、1959年退職)[21] - ノンフィクション作家。2015年に死去[95]。
- 甘利和子(1954年入社、1985年定年退職)[21]
- 綱徳子(1954年入社、1963年退職)[21]
- 来栖琴子(NHKアナウンサーを経て[注釈 3]1954年嘱託。1963年6月入社、1979年定年退職)[96]
- 大沢嘉子(1955年入社、1963年退職)[30]
- 杉田喜代子(1955年入社、1956年退職)[31]
- 高橋作子(1955年入社、1992年定年退職)[31]
- 松浦園子(1955年入社、1962年退職)[31] - 夫は財前和夫[14]。
- 榎本和恵(1956年編成局嘱託、1956年10月退職) - ラジオ東京放送劇団に入団[31]。
- 町田教子(現姓:木元/1956年編成局嘱託。1957年入社、1958年退職)[31] - 評論家、ジャーナリスト[97]。
- 松浦淑恵(JOKK劇団、山陽放送を経て1956年編成局嘱託、1956年10月退職) - ラジオ東京放送劇団に入団[31]。
- 麻生雅子(1957年入社、1994年定年退職)[33]
- 石川知子(1957年入社、1963年退職)[33]
- 大場ゆかり(1957年入社、1961年退職)[33]
- 草間範子(1957年入社、1961年退職)[33]
- 佐藤美智子(1957年入社、1960年退職)[35]
- 鈴木美江(1957年入社、1960年退職)[35]
- 須藤孝子(1957年入社、1963年退職)[35]
- 前田和子(1957年入社、1959年退職)[35]
- 三好和子(1957年入社、1960年退職)[35]
- 相場君子(1959年入社、1963年退職)[41]
- 今井登茂子(1959年入社、1962年退職)[41]
- 加藤かな子(1959年入社、1964年退職)[41]
- 加藤珪子(1959年入社、1964年退職) - 1984年2月に死去[41]。
- 土井誉子(1959年入社、1961年退職)[41]
- 蛭田玲子(1959年入社、1964年退職)[41]
- 内田房子(1961年入社、1963年退職)[45]
- 小木曽ひろ子(1961年4月入社、1961年8月退職)[45]
- 坂元良江(1961年入社、1970年退職)[45]
- 島倉恭子(1961年入社、1965年退職)[45]
- 野中泰子(1961年入社、1997年定年退職)[45]
- 原田淑枝(1961年入社、1965年退職)[45]
- 結城田鶴子(1961年入社、1964年退職)[45]
- 若本ミチ子(1961年入社、1963年退職)[45]
- 梅田早苗(1962年入社、1998年定年退職)[46]
- 古村朋子(1962年入社、1968年退職)[46]
- 佐藤紀子(1962年入社、1966年退職)[46]
- 塩田光代(1962年入社、1964年退職)[46]
- 清水恵子(1962年入社、1967年退職) - 1993年6月に死去[46]。
- 富田幸子(1962年入社、1966年退職)[46]
- 山口紘子(1962年入社、1967年退職)[46]
- 宇野淑子(1964年入社[49]、2002年定年退職)
- 高階玲子(1964年入社、1992年退職)[49]
- 二村義子(1964年入社、1971年退職)[50]
- 山田照子(1964年入社、1978年退職)[50]
- 吉野好子(1964年入社、1965年退職)[50]
- 桐本幸子(1965年入社、1999年退職)[51]
- 手塚俊子(1965年入社、1974年退職)[98]
- 本田綾子(1965年入社、1969年退職)[98]
- 岩崎直子(1966年入社、1970年退職)[98]
- 遠藤泰子(1966年入社、1972年退職)[98]
- 川戸惠子(旧姓:堀川/1966年入社)[98] - 夫は川戸貞吉[44]
- 藤田恒美(1966年入社[98]、2003年定年退職)
- 堀川友子(1966年入社、1970年退職)[98]
- 池田園子(1968年入社、1970年退職)[59] - 夫は小島一慶[60]。
- 石井和子(1968年入社、1971年退職)[59] - フリーアナウンサー、気象予報士、日本気象予報士会顧問(前会長)。
- 見城美枝子(1968年入社、1973年退職)[59] - フリーアナウンサー、エッセイスト、ジャーナリスト、青森大学副学長社会学部教授。
- 郷司淑子(1968年入社、1974年退職)[59]
- 菅原牧子(1968年入社[59]、2003年退職)
- 神津栄子(旧姓:浅井/1977年入社、1992年退職)[72]
- 三雲孝江(1977年入社、1990年退職)[74]
- 吉川美代子(1977年入社[74]、2014年定年退職)
- 有村かおり(現姓:松富/1983年入社、1999年退職)[77] - キャスター、作家
- 野口雅子(1983年入社、1990年退職)[77]
- 牧嶋博子(1983年入社)[77]
- 木場弘子(1987年入社、1992年退職)[80] - 千葉大学教育学部特命教授。夫は元プロ野球選手で中日ドラゴンズ監督の与田剛。
- 戸田恵美子(旧姓:畑/1987年入社[80]、2004年退職)
- 長峰由紀(1987年入社、2023年3月定年3ヶ月前に退職)[80]
- 香川恵美子(1988年入社、1998年退職)[80] - 夫は元プロ野球選手でオリックス・バファローズ二軍監督の田口壮。
- 小笠原保子(1989年入社[85])
- 福島弓子(1989年入社、1999年退職)[85]
- 有村美香(1990年入社)[85]
- 渡辺真理(1990年入社、1998年退職)[85]
- 秋沢淳子(1991年入社)[85]
- 雨宮塔子(1993年入社、1999年退職)[87]
- 進藤晶子(1994年入社、2001年退職)[87] - 夫はプロゴルファーの深堀圭一郎。
- 長岡杏子(1994年入社)[87]
- 小川知子(1995年入社)[90]
- 小島慶子(1995年入社[90]、2010年退職) - タレント、エッセイスト、女優。
- 堀井美香(1995年入社、2022年退職)[90]
- 広重玲子(1996年入社)[90]
- 木村郁美(1996年入社、2021年退職)[90][99]
- 小倉弘子(1997年入社)[90]
- 外山惠理(1998年入社)[90]
- 豊田綾乃(1999年入社)[91]
- 海保知里(1999年入社[91]、2008年退職)
- 久保田智子(2000年入社[91]、2016年3月退職後[100]、2020年12月復職[100][101])
- 山内あゆ(2000年入社)[91]
- 竹内香苗(2001年入社[91]、2012年退職)
- 川田亜子(2002年入社、2007年退職) - 2008年に死去[102]。
- 山田愛里(2002年入社、2012年退職)
- 小林麻耶(2003年入社、2009年退職)
- 高畑百合子(2003年入社)
- 青木裕子(2005年入社、2012年退職) - 夫はナインティナインの矢部浩之。
- 新井麻希(2005年入社、2010年退職)
- 岡村仁美(2005年入社)
- 出水麻衣(2006年入社)
- 水野真裕美(2006年入社)
- 加藤シルビア(2008年入社)
- 枡田絵理奈(2008年入社、2015年退職) - 夫はプロ野球・広島東洋カープの堂林翔太。
- 江藤愛(2009年入社)
- 田中みな実(2009年入社、2014年退職)
- 小林悠(2010年入社、2016年退職)
- 佐藤渚(2010年入社、2017年退職) - 夫はプロサッカー選手・浦和レッズの柏木陽介。
- 古谷有美(2011年入社)
- 吉田明世(2011年入社、2019年退職)
- 林みなほ(2012年入社、2019年退職)
- 小林由未子(2013年入社)
- 笹川友里(2013年一般職で入社。2014年からアナウンサー。2021年退職)[103][104]
- 宇垣美里(2014年入社、2019年退職)
- 皆川玲奈(2014年入社)
- 宇内梨沙(2015年入社)
- 上村彩子(2015年入社)
- 伊東楓(2016年入社、2021年退職)[105]
- 日比麻音子(2016年入社)
- 山本恵里伽(2016年入社)
- 山形純菜(2017年入社)
- 山本里菜(2017年入社、2023年退職)
- 宇賀神メグ(2018年入社)
- 田村真子(2018年入社)
- 良原安美(2018年入社)
- 近藤夏子(2019年入社)
- 篠原梨菜(2019年入社)
- 若林有子(2019年入社)
- 野村彩也子(2020年入社)
- 佐々木舞音(2021年入社)
- 吉村恵里子(2022年入社)
- 南後杏子(2023年入社)
- 御手洗菜々(2023年入社)
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』 東京放送、東京放送、2002年1月、235-240頁。
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参考文献[編集]
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