龍年光
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龍年光(りゅう としみつ、1921年〈大正10年〉10月10日 - 2007年〈平成19年〉3月25日)は日本の政治家、宗教家。通称「りゅう ねんこう」ともいう。
経歴[編集]
1951年(昭和26年)7月に創価学会の「男子部」が結成されると、男子部の第4部隊長に就任した。この時、池田大作(のちに第3代会長)は男子部の第4部隊の幹事長だったが、後に第1部隊長として転任した。
- 1955年(昭和30年)4月に創価学会の「文化部」が結成された。統一地方選挙の1つとして行われた東京都の品川区議会議員選挙に無所属(創価学会の推薦候補)で立候補し、初当選し、品川区議会議員となる。創価学会の推薦候補で東京都の23区内の区議会に当選した32人のうちの1人だった。
- 1959年(昭和34年)6月30日に創価学会の「理事」に就任した。
- 1963年(昭和38年)4月に東京都議会議員選挙で「公明政治連盟」の公認候補として、2回目の当選を果たした。
- 1973年(昭和48年)7月に東京都議会議員選挙で5回目の当選した。
- 1977年(昭和52年)7月 第9回東京都議会議員選挙で6回目の当選した。
- 1981年(昭和56年)7月 第10回東京都議会議員選挙で7回目の当選した。
- 1984年(昭和59年)公明党の中央統制委員会の副委員長を退任した。
- 1985年(昭和60年)7月に東京都議会議員選挙に立候補せず、政界を引退した。
創価学会に批判的な立場となり、創価学会を脱会した[編集]
エピソード[編集]
- 自由民主党の「公明党・創価学会の政教分離に関する部会」に山崎正友(創価学会の元顧問弁護士)と共に出席した。
- 1995年9月に転落死をした東村山市議会議員の朝木明代(当時、東村山市議会議員)の追悼集会に出席し、スピーチを述べたこともある。