駿河田中城
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駿河田中城(するがたなかじょう)とは、現在の静岡県藤枝市田中に存在した日本の城である。現在の西益津小学校・西益津中学校が城跡に当たるという。
概要[編集]
室町時代に一色信茂(左衛門尉)が築城したと伝わる。そのため、当時は徳一色城(とくいっしきじょう)と呼ばれていた。元亀元年(1570年)に武田信玄が駿河国を制圧した際、城を修築して城名を田中城と改め、駿河国における拠点の城として重視したという。しかし信玄の死後、甲斐武田氏は長篠の戦いで大敗を喫すると急速に衰退し、天正10年(1582年)の織田信長・徳川家康連合軍による武田征伐において徳川軍の攻撃を受けて開城し、以後は徳川氏の支配下となる。
江戸時代になると田中藩が置かれ、譜代大名で微禄の者が城主を務めて頻繁に交代した。これが落ち着いたのは享保5年(1730年)の本多氏入封であり、明治維新まで本多氏が4万石で支配した。明治時代に入り、田中城は破却された。
この城の有名なエピソードとして、家康が元和2年(1616年)に鷹狩りの最中に田中城に立ち寄った際、鯛の天ぷらを食べてそれが原因で75歳で世を去っている。
田中城は日本全国でも珍しい円郭式の平城跡であり、水掘と土塁が現在の遺構として残されている。
アクセス[編集]
- 藤枝駅からタクシーで15分(下屋敷入り口下車)。下屋敷入口バス停下車から徒歩で3分。