陸奥下村藩
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陸奥下村藩(むつしもむらはん)とは、江戸時代後期の短期間に陸奥国に存在した藩である。藩主家は譜代大名の田沼氏。藩庁は陸奥下村陣屋。石高は1万石。現在の福島県福島市に存在した。
概要[編集]
紀州藩士の家系で江戸幕府で下級の幕臣から成り上がった田沼意次は、第10代征夷大将軍の徳川家治の時代に田沼時代と称されるほどの権勢を振るい、側用人から初めて老中に就いた。しかし、天明4年に若年寄だった息子・意知が佐野政言と江戸城内で刃傷になって暗殺され、次いで天明6年(1786年)に家治が死去すると松平定信を筆頭とした反田沼派の巻き返しを受け、天明7年(1787年)に老中罷免・隠居謹慎を命じられて失脚することになる。
田沼意次は家治から遠江国相良藩に城主格で5万7000石を与えられていたが、この失脚の際に相良藩から陸奥下村藩という僻地に1万石に減封され、城主格も剥奪された上で移封を命じられた。田沼家の家督は嫡孫で意知の長男の田沼意明が継承することになった。この際の田沼家の所領は陸奥国信夫郡と越後国頚城郡にあった。田沼意次は失脚からわずか1年後に失意のうちに病死している。
その後、下村藩主は意明の後、田沼意壱・田沼意信・田沼意定と続いたが、これらはいずれも短命であり、意定の従父で意次の4男である田沼意正が第5代藩主となる。意正は第11代将軍・徳川家斉の信任を得て文政6年(1823年)、無城主格で1万石据え置きであるが、旧領の相良藩に戻ることを許可され、こうして陸奥下村藩は廃藩となり消滅した。
歴代藩主[編集]
- 田沼家
譜代 1万石