田沼意次

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田沼意次

田沼意次(たぬまおきつぐ、1719年〜1788年)は、江戸時代中期の幕府老中江戸生まれ。幼名竜助のち主殿頭。

概要[編集]

意次・意知父子が幕政の実権を掌握していた18世紀後半の時代を「田沼時代」という[1]
田沼氏は下野国安蘇郡田沼が元々の本拠だったが、紀州徳川家成立時に紀州藩士となった。意次の父・意行は紀州藩から幕臣に転じた軽輩の陪臣で、意次も一介の旗本であったが、将軍徳川家重により御側御用取次を経て相良藩の大名に取り立てられた。将軍徳川家治の代に城主格になると共に、老中に取り立てられ[注 1]、幕政の実権を掌握した。

しかし、嫡子意知が佐野政言に遺恨で斬られてから零落し始め、家治の死とほぼ同時に失脚した。
失脚と共に隠居して、嫡孫意明に家督が継がれたが、陸奥下村藩へ懲罰転封された。

松平定信失脚後、四男・意正が非城主格ながら相良に帰還した。

脚注[編集]

  1. 御三家陪臣家出身の初の老中である。
出典